差別をなくす方法。それは、目の前の人を思いやるということ。

心を整える

 

こんにちは!佐伯です(^_^)

 

今日はほぼ初めての1日2記事更新!?

ホントはジョギングに行くつもりだったんですけど、

書きたい気持ちのほうが強くなったのでジョギングは後回しです。

 

そして書いた後、ジョギングに行く気力が残っているかも不明です笑

 

 

ーーーさて、先ほど近所のイオンに買い物に行っていたわけですよ。

最近改装されて、店内が新しくなっていてイオン直営のアルコールショップもできました。

そこで滋賀の地酒とベルギービールを手に入れてたので、

ジョギングでもして身体絞った後、ゆっくり楽しもうとワクワクしてたわけですよ。


(買ったお酒。藤娘っていうにごり酒と、セゾンっていうベルギービール)

 

もともと食材を買いに行ったので、食材も買って、

さぁ帰ろうかって自転車置き場まで向かったところ

 

なんか中年のおじさんと、金髪の中年のおじさんが2人でタバコを吸ってるわけです。

僕の自転車の前で。

しかも駐輪所内、禁煙なのに。

 

(ああ~なんか雰囲気悪いなぁ。嫌だなぁ)

と思いつつ、タバコの煙を不快に感じながらも、自転車のチェーンロックを外してたら

めちゃくちゃ視線感じるんですよ。

 

んで、顔を上げたら、金髪のおじさんが僕のことをめちゃくちゃ睨みつけている。

1秒ぐらい目を合わせた後、目線を外して目線を伏せたままその場を去りました。

 

「何なんだろう、あの人腹立つなぁ」

って思いながら、そのおじさん達の前を去る直前、その人達の会話が耳に入りました。

 

そしたら喋ってる言葉が日本語ではありませんでした。

アジア人の外見と喋ってる言葉からするに、多分中国とか韓国とかお近くの国の言葉だと思います。

 

だからといって、お近くの国のやつはクソだ、

なんて話をするつもりは毛頭ないのでこの後も読んでもらえると嬉しいですw

 

単純な疑問:何故、初対面の人間にこんなことができるのか?

 

さて、された事自体は非常に腹立たしいことなんですけど、

過去に囚われて今を犠牲にしたくないので、

どうにかして前向きな解釈に持っていけないかな、

と自転車を漕ぎつつ怒りと葛藤しながら考えていました笑

 

そしたら単純な疑問が浮かんできたんですよ。

 

「何故、あの人達、初対面の僕を睨みつけるような事ができたんだろう?」って。

 

 

だってそうじゃないですか。

僕が「喧嘩上等!」とか「日本人は世界一優秀な民族!」とか文字の入ったTシャツでも着てたら別ですけど

着てたのユニクロのスウェットパーカーでっせ?

 

そして、地元の人ならまだしも、外国の人なんで、事前に僕の情報を知っている可能性は少ない。

(僕のことを睨みつけるまでの動機を持つ可能性が極めて低いってことです。)

 

で、1つの仮定が浮かびました。

 

仮定:歴史やニュースで観た情報を僕個人に投影している

 

ほら、お近くの国と日本って仲が悪いように報道されてるじゃないですか。

でも僕ってこういう類の報道にたいして全然ピンと来ないんですよ。

 

僕には劉さんという中国人の友人がいます。

ソフトウェアの開発をお願いしてるんですが、プライベートの付き合いもあって何度も食事に行く仲です。

そして劉さんは報道されている中国人像とは真逆のような方です。

(政治的な話はしたことないので確定はできませんが)

最近は、中国人の奥さんと日本に引っ越してきて日本で子供を授かり、そのまま日本で暮らしています。

 

だから、別に中国人だからと言って皆が皆、日本人を嫌いじゃないということを知っています。

 

僕たち日本人もそうですよね?

皆が皆、中国人や韓国人を嫌いな訳ではないし、むしろ仲良くしたいと思っている人の方が多いと思うんです。

そして偏向したニュースなどの情報を観るたびになんとも言われない悲しい気持ちになりますよね。

 

先日もヤフーニュースを見ていると、

「日本のラーメン屋で韓国人が酷い暴言を吐かれた」とか

「韓国人が日本人を寿司女と蔑んでナンパ動画をアップしている」とか、

立て続けに別々のニュース、日本人が加害者になったもの、被害者になったもの、を読みました。

 

1つめの日本人が加害者になってしまったニュースで素敵だなと思った事があります。

それは、暴言を吐かれた韓国人の方が、以下のように事体を説明してたことです。

「今回の件は、偶然起きてしまった悪い出来事の一つでしかないと考えております。 日本に対する良いイメージが変わることはありません」

「もちろん差別は存在してはいけません。たとえこの件で多くの韓国人が衝撃を受けたとしても、この件を機に日本での差別に対する警戒心を呼び覚ます契機になるように願っています。 私は今後も、韓国と日本がさらに友好関係を築けるように民間交流に努めていきます」

「『一個人の言動が自国のイメージを変えてしまう』ということをみなさんに知ってほしいです」

 

ただ、ここで気をつけないといけないことがあります。

 

この問題を、日本人と韓国人の人種間の問題として捉えないことです。

 

また国家間の文化の違いとか、教育の違いとかって考えるのも少し違います。

 

このブログを読んでくださっている勘の良いあなたなら、僕が何を言いたいかもうお分かりかと思います。

 

結論:目の前の人を大切にすれば差別はなくなる(はず)

 

そうです。国家間の問題でも、文化・教育の違いの問題でもなくて

そこにいる一人ひとりの人間対人間、これは個人間の問題なんです。

 

この認識無くして、人種とか文化でその人を判断してしまうことは差別に繋がると考えています。

 

僕たちは一人ひとり個性を持った人間です。

日本人というくくりで見ただけでもホントに色んな人がいるじゃないですか。

心から日本の未来を考えて行動する人もいれば、私服を肥やす人、日々の生活に必死な人、人を殺めてしまう人まで。

もっと小さく言えば、あなたを育ててくれた家族だけで見ても違いますよね。

他の家族に比べて似ているところは多いかもしれませんが、でもやっぱり違う所だらけですよね。

 

当たり前のことで、今まで何百回と聞いたことだと思いますが人間一人一人違うんです。

これが最も重視すべき前提なのに、日本人だから、とか韓国人だからとか、

「人間一人一人違う」という前提より「人種間で違いがある」という前提の方が重視されてしまう。

 

だから、目の前の人に向き合うこと無く、

「日本人だから」「韓国人だから」って前提(価値観)で目の前の人を判断してしまうんです。

 

これって思いやりないですよね。愛が感じられない。

 

少し話が外れたように感じるかもしれませんが、

海外留学から帰ってきた人が「外国ではうんちゃらかんちゃら」言ってるのが鼻につくのも

「人間一人一人違う」という前提を軽視して、「人種間」という前提で個人を判断してるからなんですよね。

 

僕もフィリピンに英語留学に行ってたことがあって、

フィリピン人は日本人に比べてウンタラカンタラ、って言ってしまうことがあるので、

なるべく「僕が関わったフィリピン人は」という文脈で話そうと心がけているのですが、

これがなかなか難しいのですよね(^_^;)

 

思いやりが差別をなくす

 

とまぁこんな風に、

今回、僕が見ず知らずのアジア系外国人に睨みつけられたのって、

「日本人」っていうくくりで見られて、僕個人と向かい合ってもらえなかったからだと思います。

 

だから、悔しいんですよね。そして腹が立つ。

 

僕個人と接してくれて、「ああ、こいつはどうしようもないクズだ」って判断されて

その結果、睨みつけられたりするのならいいですよ。

だってそれは僕個人に接してくれた上で判断した相手の結論だから。

その結論を僕が左右する権利はないし、左右することもできません。

 

ただ「日本人」というくくりで判断されては、僕はどうしようもありません。

もしかしたら仲良くなれる可能性もあるのに、その可能性にアプローチすることすら許されない。

だから、悔しいんです。

 

今回の経験から、差別する人って、相手と向かい合っていないんだろうな、と思います。

相手個人と向かい合うことなく、もう少し上の抽象的なフィルター(前提)を通して相手を判断してる。

例えば、それは外見かもしれないし、生まれかもしれないし、学歴、人種、年齡、こういった単なる情報を通して相手を見てるんです。

 

そして、この時、自分を正当化しようとすると、知らない人まで差別しないといけなくなる。

例えば、「学歴」というフィルターで人間を判断してしまっては自分より学歴の低い人は全員差別しないと筋が通らないからです。

 

これってもったいないですよね。

そして本人も生きづらさを感じていると思いますよ。

 

人間一人一人違うんです。

 

だから、誰と話そうが、その違いが、絶対に自分の学びに繋がるのに、

わざわざ抽象化したフィルターを通してその人個人と接するなんて、

自分で自分の学びの機会を放棄しているようなものです。

 

それは相手が赤ちゃんであってもそうですよ。

赤ちゃんだからと言って自分が上と考えるのは、

赤ちゃんを「年齡」というフィルターで差別してますからね。

 

 

相手と向かい合った結果、

「こいつのこと大嫌いだわ。もう今後二度と関わらないでおこう」

って思うのは差別ではないですよ。

 

だってそれは相手と向かい合った結果ですからね。

人間一人一人違うんだから、好きな人嫌いな人ができて当然です。

 

これってとてもフェアな世界ですよ。

 

それを”常識”という超絶大きく抽象化されたフィルターで

「皆と仲良くしましょう」なんて言い出して、しかもそれを個人に強要する。

 

 

だ・か・ら、差別が生まれるんです。

 

 

僕自身、人付き合いもそうですが、

目の前の出来事に対してきちんと向かい合えていない事がまだまだたくさんあります。

 

目の前の物事に対して、正直に正面から向かい合い、

かけがえのない1つのものとして大切にした上で判断すること。

これも人生を丁寧に生きるために大切だと思います。

 

そして目の前の人や物事に向かい合う事こそが思いやりを持つということだと思います。

思いやりという言葉は、その人個人とセットで使わないと意味が通じないことからもわかります。

 

私は、日本人に思いやりを持っています。(人種)

私は、日本に思いやりを持っています。(国籍)

 

なんか違和感ありますよね。

 

思いやりを持つことは必然的にその人個人と向かい合うことになるんです。

そして、思いやりを持ち、その人個人を尊重した上で、判断することができれば

きっと差別はなくなると僕は考えています。

 

 

僕もまだまだ精進していく次第です(^_^)

今回も長い記事を読んでいただきましてどうもありがとうございました!

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