白隠禅師シンポジウムに行ってきたYO!~宗教という”1つの”考え方を自分の糧とする~

心を整える

 

こんにちは!サイキです\(^o^)/

 

最近ヤフー知恵袋で見た、この質問が頭から離れず思い出すたびに笑ってしまいますw

 

 

 

ちなみにこの曲です。(youtubeに飛びます。)

質問も質問だし、これでわかる回答者もですけど、疑いとか通り越して素直に笑っちゃいますw

 

 

さて、今日は、京都の花園大学で開催された白隠禅師シンポジウムに行ってきました!

 

白隠禅師はアップル創業者(ではありませんよw)スティーブ・ジョブズが取り入れたことで有名な

「禅-ZEN」を広く日本に普及させた臨済宗中興の祖と称される臨済宗のお坊さんです。

 

僕は、もともと全然宗教とか興味なかったのですが、

先日爺ちゃんの四十九日があって、その時に詠まれたあるお経にとても感動したんです。

それが「四弘誓願(しぐせいがん)」というお経でした。

後から知ったんですが、これ臨済宗では事ある毎に詠まれる超メジャーなお経らしいです。

 

あまりに感動して今はスマホの待受にしていますw

その四弘誓願とやらがこちらになります。

四弘誓願

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんどー)
生命あるものは限り無けれども、誓って導かんことを願う

煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
わずらいなやみは、尽くることはなけれども、誓って断ち切らんことを願う。

法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
ことわりのかずは、はかりなけれども、誓って学ばんことを願う。

仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
さとりの道ははるかなれども、誓って成しとげんことを願う。

 

 

日本人の長所である謙虚さを残しつつも、

前進しようとする気持ちを表した素晴らしい文章だと思いません?

 

※ちなみに解釈はお寺?宗派?によって違います。

今回の解釈は、愛媛県西条市にある願成寺というお寺のお坊さんに教えていただきました。

この解釈じゃなかったら今回のシンポジウムにはおそらく参加していないでしょうw

 

 

というわけで、じいちゃんの四十九日以降、臨済宗(禅)に興味を持ちました。

書籍もいくつか買いましたが、あまり理解することができなかったので

直接教えをいただけないかと、臨済宗の大本山(本家?)である妙心寺に問い合わせた所

今回の白隠禅師シンポジウムを教えていただいたという経緯です。

なんと今年が白隠禅師が亡くなって250年目らしく、タイミングにも恵まれました\(^o^)/

白隠禅師シンポジウムで確信した「僕たちは仏と同じ価値がある」ということ

 

シンポジウムでは9人の各地の住職さんが、それぞれのテーマでお話されました。

もちろん生まれたての赤子レベルの知識しかない僕がすべてを理解できるはずがないのですが、

一応、形だけは30年近く生きてきた僕の心に残った範囲で良かったことをお伝えさせていただきますね(^q^)

 

四弘誓願もそうでしたが、今回も超最高のお経?に出会うことができました。

それが、白隠禅師坐禅和讃(はくいんぜんしざぜんわさん)です。

 

以下のサイトに本文と現代訳が載っているので、

是非これを読んだ後記事を読み進めていただければと思います^^

 

白隠禅師坐禅和讃~悩み事を抱えているあなたへ~ – 聖福寺

 

 

この坐禅和讃の中で僕が素敵だなーと思ったのが、

一番最初の「衆生本来仏なり」って部分です。

 

これは「僕たちは皆、本来、仏(と同じ価値がある)なんですよー\(^o^)/」って言っております。

そして最後も「この身即ち仏なり」で締めくくってますね。

 

これってホント僕が伝えたい思いと一緒で、

皆さんには計り知れない可能性があるのに、自分を過小評価してその可能性を見ようとすらしていない。

それどころか無責任に他人の可能性を否定して価値を潰す奴すら居る始末(これだけはホントやっちゃダメ!)

 

不安と心配で何重にも編んだ鎖かたびらを自ら自分の体に巻きつけて「制限」の世界で生きておられるんですね~。

 

皆さん自分には元から仏レベルの価値があるのに、それを見ようとすらしないんです。

ちなみにこの「見えない」(=不覚)を「見よう」とする行為(=始覚)が

かの有名な般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)と言うようです。

※いただいたパンフレットに書いてあった文章を僕が、

上記のように解釈しただけなので間違っている可能性ありますw

 

 

少し話が逸れてしまいましたが、

もちろん僕も以前は、「制限の世界」で元気に生きていました!!www

 

 

でも、大学受験失敗と婚約解消という自分史史上最大の2つの出来事を経て

いくら努力(のつもりの我慢)しても、いくら頑張っても、どうにもならん時もあるって身をもって体験できたのです。

このおかげで、我慢したり頑張ったりする人生を止めました。

すなわち「制限の世界」で生きることを辞め、「可能性の世界」で生きるようにしたんです。

 

制限の世界で生きていた時は、毎日が不安と心配だらけでした。

「こんなことを言ったら相手に嫌な思いをさせるんじゃないか」とか

「こんなことをやってしまったら相手に嫌われるんじゃないか」とか

と、何故か、不安と心配だけを見ていました。

 

しかし、可能性の世界で生きるようになってからは以下のように考えるようになりました。

「こんなことを言ったら相手に嫌な思いをさせる可能性もあでも話が弾む可能性もある

「こんなことをしてしまったら相手に嫌われる可能性もある。でも、面白いやつだと思ってもらえる可能性もある。

 

と、心配も不安もあるけど可能性もあるよNE!っていうふうに、平等に目の前の物事を見れるようになりました。

で、どちらかと言えば、後者に期待を込めて行動するわけですw

 

しかし、もちろん前者になる可能性もあります。

でも、仮に前者になっても「あーそっちね」って一歩引いて物事を見れるようになりました。

 

 

あ、ここで誤解しないでほしいんですが、

相手に嫌な思いをさせてやろう、とか嫌われようと思って行動することは一切ないですよ。

 

あくまで相手を最大限尊重した上で、それ以上の自分の考えや行動が

及ばない(影響をあたえることができない)ところは相手に委ねる、ということです。

 

 

例えば、大学受験で合格に向けて一所懸命勉強するけど、

最終的な合否は自分じゃ決定できないですよね。

 

人事を尽くして天命を待つってやつです。

 

 

そして最近思うのが

「制限の世界から可能性の世界への引っ越し」って誰にでも訪れることで、

ただ、タイミングの問題なんだろうな、と思います。

 

※普通に※生きてさえいれば誰にでも、自分の可能性に気付く時が来ると思います。

般若波羅蜜多!

 

だって人間は基本的に皆同じでスペックにはほとんど差は無いですからね。

違うように見えるのは、そして実際に違うのは、”自分の人生”を歩んだ期間に差があるからです。

 

 

そして気付くためには”自分の人生”を生きていることが前提になります。

(※本来、自分の人生を生きることが”普通に”生きるってことなんですよ~!)

自分の人生とは、出来事すべて自己責任で、そして全力フルパワーで生きる人生です。

 

 

自分の人生を生きていない人には永遠に「般若波羅蜜多!」は訪れないと思いまーーーすヽ(^o^)丿

 

 

少し話が逸れますが、人間に圧倒的な差が合ってはダメなんですよ。

だって、仮にですよ。

100メートル走で、1人だけ2秒とかで走れる人いたらもう100メートル走競技で頑張ろうと思わないじゃないですか?w

圧倒的強さを誇るボルトですら、他の人と0.何秒違うとかその差ですからね。

 

その差だったらイケるかも、と思うから頑張れるわけです。

だから、成長するんですね。

 

人間って上手くできていますよねー!さすがただの動物!一つの命!

 

これはもちろんですが、陸上に限った話ではないですよ。

スポーツだって、学問だって、ビジネスだって、恋愛を含む人間関係だってそうです。

 

頑張ったらイケるかも!?って可能性があるから頑張れるんですよ。

で、その可能性をどれぐらい感じて、そこにどれぐらい自分の力を注げるかが結果的に人間力の差になって表れてくるわけです。

 

だからこいつには負けてるなーって思っても、

それは基本スペックで負けているわけじゃなくて、

人生に向かう真剣さ(自分の人生を生きる!)で負けてるだけなので、取り返せる可能性は十分にあるんですよ。

(100メートル走を2秒で走る事実を見て、頑張ればイケるかも?なんて思わないでしょ?笑)

 

だから、「衆生本来仏なり」ってのは「まさに!」だし、

正しいとか正しくないとかじゃなくて、信じたほうが幸せな人生歩めると思いますよ~という

僕からの小さくも大きな囁き(ささやき)だったのです\(^o^)/

 

 

“譬えば水の中に居て渇を叫ぶが如くなり”とか、

“長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず “とか

自分の可能性を見ようとせず、制限の世界で生きているってことをドンズバで表していますよねw

これ250年以上前に書かれたお経なのに、人間って成長してるのかしてないのかわかりませんね(笑)

 

 

日本人で良かった!あらゆる宗教を自分の糧にできる!

 

僕、臨済宗に出会うまでは、宗教ってヤバイもんかと思っていました(笑)

だって小学校の頃に大ニュースになったOMU真理教とか

最近女優さんが出家なさったハッピーサイエンスとか

なんかヤバイ噂しか聞かないじゃないですか。

 

でもまぁ、これって知らなかっただけ、

いや、知ろうとしなかっただけだなーって思います。

だからと言っても、知ろうとする対象は選びますけどね。

 

そして今回、偶然にも臨済宗の素晴らしい教えに触れることができて

日本人で良かったー!と思います。

 

だって、日本人って僕も含め大体の人が無宗教じゃないですか?

まぁ熱心な方からは「だから日本人は主張ができない」とか言われるわけですけど、

もちろんそれもありますが、良い面にも気付いてしまったのですよね~v(^O^)v

 

それは、

無宗教だからこそ、他の宗教に浮気しまくれるということです。

 

更に更にラッキーなことに日本人は政治観も薄い!

だから、主義にも浮気できるんですよ~~~\(^o^)/

 

男女共々、浮気が許されるならどんどん浮気したいですよね。

※この真意は後述するので今は噛み付くの我慢してねw

 

僕ね、宗教とか主義って1つの考え方にしか過ぎないと思うんです。

だから、現時点ではどれが正しいとか良いも悪いもないと思います。

 

というか、どの宗教も主義も、個々に独立した世界であればそれは正しいと思います。

だからどの考え方にも、一定数指示する人が生まれるわけです。

僕たち人間は皆同価値なので、そこにある程度人が集まるってことは

イコール価値があることの証明なわけです。

 

これを比較し合うから、正しい正しくないっていう判断が生まれてくるんですよね。

 

で、こういった現状がある中で、

特定の考え方を指示すること無く(無宗教)すべてを平等に見れる僕達日本人って

かなり、有利な立場にいるんじゃないのかなって思うんです。

 

 

だから、この有利な立場を存分に活かして、

色んな宗教や主義の主張を平等に知った上で、

自分で咀嚼したあと統合して、自分の糧にすればいいと思います。

そこで得た糧を自分の可能性の餌として、自分の人生を歩めばいいと思います。

 

 

色んな宗教や主義を知ることを、浮気に例えましたが、

浮気だって、誰でも良いってわけじゃなくて、

何かと比べて「良い(Better)」と思えるから浮気するわけじゃないですか。

 

 

なので、

「あ、これ良いな」って思ったらどんどん色んな宗教や主義に浮気しちゃえばいいと思うんですよ。

こうやって僕達は、自分の可能性を広げていける。

そしてこういった行為の先に、「仏となれる(気付ける)」結果がある、と信じるのが良いかと思います。

 

 

これって日本人だけに許された特権なんですよ~~~!!

 

だから、その日本人はホニャララなんて管を巻く暇があったらこの権利を濫用しまくればいいと思うんです。

だって生まれたときから宗教が決まっているような人間はやろうと思ってもできないんですから。

 

 

納得していただけました?

 

ほら、その大きく開いた口をお閉めなさいw

 

 

 

・・・・・・・。

かの有名なダーウィンという僕達と同じ人間が言いました。

 

“It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent; it is the one most adaptable to change.”

(暴力の世界で強い事や、学問の世界でとても賢いことが強い種というわけではない。強い種とは、最も素直に、環境や時代などの変化に対して適応できる種だ。)

ってね。※僕の解釈大いに在り。

 

 

 

 

それ僕達日本人のことですやーーーん!!

 

 

し・か・も。

日本人には空気を読む力もあります。

これって言い方を変えれば環境の変化とか場の流れを感じ取る力ですよね。

 

いや~~~!

一人ひとりが仏レベルの価値を持ってて、人種的にも恵まれているなんて…

 

日本人として生まれることができてラッキーでしたよねー! v(^0^)v

 

 

最短最速で仏レベルまで登りつめる方法

 

白隠禅師はこのような言葉も残しています。

「此等逐一透過の後に、廣ろく内典外典を探ぐり、無量の法財集めておいて、三つの根機を救わにゃならぬ」(お婆々どの粉引き歌より引用)

 

これ、かなり長い歌で前後の文脈がある事を留意してくださいね。

 

前後の文脈がある事実を踏まえ、以下はあくまで僕の解釈にしか過ぎないのですが、

これって

自分の可能性を信じられない人に、自分の可能性に気付いてもらうためには

“物事の枠(内典外典)に囚われない広い知識と経験、そして慈悲心を持った愛”が必要ですよ~~~

とおっしゃっているんだと思います。(僕の解釈です。)

 

なので、”幅広い知識と経験、そして慈悲心という愛”を持ってと、なりえるわけです。

 

何が言いたいかというと、

最速最短で仏になるには、いっぱい経験して、知識だけでなく、同時に愛も深めるしか無いということですねw

 

急がば回れってやつですw

自分の価値を信じて一生懸命自分の人生歩みましょう!

僕も頑張らず無理せず我慢せず、でも真剣に人生歩む所存ですよー\(^o^)/

 

 

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