ミランダ・カーに「いいね!」してもらった話。自分が思っている以上に世界は平等かもしれない。

自分の可能性を信じる

 

こんばんは!佐伯です( ´ ▽ ` )ノ

 

今日は、近所の駅で開催された朝市に行ってきましたー!

 

ところで、滋賀の名物の鮒寿司ってご存知ですか?

フナのお腹にお米を詰めて発酵させたちょっと味に特徴があるローカルフードです。

一度試しに買ってみて「あ、もうこれはいいかな…(^_^;)」って思っておりました。

 

ただ、滋賀を心から愛する女性バー店主に

「沖島のフナ寿司は違うから試してみれば?朝市で手に入るよ」

と言われとりあえず買ってまいりました。

 

ただ、買ったはいいもののまだ食べてません(笑)

鮒寿司は発酵食品なので、日持ちはするので、

今度美味しい日本酒を手に入れた時に試してみようと思います(^_^)

 

勝手に、”敵”や”壁”を作ってませんか?

 

さて、朝市に行ってきてたくさん地元の珍しい食品を買えたのはいいのですが…

 

またやってしまいました…orz

 

勝手に壁を作り知らない人を敵認定する完全なる妄想世界に自分を閉じ込めてしまいました。

 

 

朝市の様子はこんな感じ。

 

正直もうちょっと開けた感じを予想していたので、

写真のようなローカルな感じにちょっと一歩引いてしまいついつい壁を作り出してしまいました。。。

 

壁(ああ、なんか入りづらいなぁ。僕のことどう思ってんのかな?)

 

そして壁を作りつつ、出店されているお店を色々見て回っていると

ついに鮒寿司が売っているお店にたどり着きました。

 

そこでもまだ壁が発動されていたので、

お店の人とは目も合わせず、鮒寿司をずっと見ておりました。

 

(んーー…まぁ一度食べてるしいいか)

 

と思って帰ろうとしたところ、お店の方が

 

「兄ちゃん100円まけるよ!」

 

と言ってくれて、その時気付きました。

 

「ああああ!!またやってしまったorz」

 

と。

 

今だから言えますが、周りは僕のことをどう思っている以前に、

僕のことなんて視界に入っていません。アウトオブ眼中です。

 

どう思われている以前の問題なのに、それなのに、

勝手に自分で壁を作って被害妄想の世界に入り込み相手を敵のように扱ってしまう。

 

これって自分が損するだけだったらいいですが、

もしかしたら相手にまで不快な思いをさせてしまうかもしれないのです。

 

日曜日の朝に、せっかく遠路はるばる朝市にお店を出したのに、

わけわからん奴が店の前に来てしかめっ面で商品眺めてたら嫌ですよね。

そんな奴が自分の商品買ってくれたとしても嬉しくないですよね。

 

まぁ敵認定するまでは無いかもしれませんが、

最近色々な方々と接する中で、

「あー壁作ってるなぁ」って感じることが多々あります。

 

僕が今、強く思うのは、

壁作る必要なんて無いし、世界は思った以上に平等なんじゃないか?ということです。

 

人は皆、幸せになるために生まれてきた

 

壁なんて作る必要はないと思いつつも、

「壁を作っておいたほうが良かった…」と後悔するような裏切りを受けることも多いかと思います。

 

「あーなんでこの人こんなことするんだろう」って思ったこと一度や二度じゃないと思います。

皆そういう経験を経て、警戒心を強め、自己防衛機能が働き自動的に壁を作るようになってしまうのですよね。

 

そしてこの裏切りが続けば続くほど壁は強固なものとなり、

下手するともう自分じゃ壊せないぐらい厚く強大なものになっていることすらあります。

 

なので、今回、まだ僕の壁がベニヤ板レベルだった時に壊してもらえてとても感謝しております。

 

そして、傲慢かもしれませんが、

僕と接してくれた人の中に壁を作っている人がいたならば、

せめて、1ミリでも、ヒビ1つでも壁を壊すことに貢献できれば、と思い日々を生きております。

 

 

とは言っても、相手の全く望まない事をしてしまうと

それは傲慢という自分だけの問題では済まされなくなってしまい、

相手の壁をより強固にしてしまうばかりか、相手を不幸に陥れてしまう可能性すらあります。

 

そして”相手の望むこと”というのは決して机上のお勉強でわかるものではなく、

人と人とのリアルなコミュニケーションの中でのみ、身体が覚えてくれるものだと考えています。

 

そりゃ昔は、

「人付き合いが上手くいく10のテクニック」みたいなインスタントなものに傾倒した時期もありました。

しかし、こういうテクニック的な物をいくら覚えても、全く人生は良くなりませんでした。

それどころか自ら進んで泥沼にズイズイ入っていっていた気さえ今ではしております。

 

何より、たとえ会話1つであっても、そしてそれがビジネスだろうがなんだろうが、

相手をコントロールしようとする姿勢って、人生の可能性を制限する行為だと思います。

 

僕がこのブログを通して伝えたいことの1つに、

「あなたには無限の可能性がある。だから自分の可能性を信じ抜いて欲しい」

というメッセージがあります。

 

これはあなたにも言えますが、相手にも言えることであって、

相手を何かコントロールしようとすることは、相手の可能性を信じていないということです。

 

相手の可能性を見限り、自分の枠内で相手の可能性を囚えてしまっています。

 

例えばビジネスの話。

 

見込み客に対して「買います」「お願いします」と言わせるために、

あらゆるセールステクニックを駆使して相手をコントロールする。

その結果、成約に至る、と。

 

・・・・

いやね、もちろん「ビジネスだから」って言ってしまえばそれまでですよ。

 

でも、僕達ってビジネスするために生まれてきたのですか?

超絶綺麗事かもしれませんが、

人生を楽しむために生まれてきたのではないでしょうか?

 

人生を楽しむために生まれてきた前提に立った時、

人をコントロールしようとする姿勢には

いかにビジネスであろうと「楽しむ」という概念において

異質感を感じないでしょうか?

 

こう考えてみたことはありますでしょうか?

 

例えば、

自分が自分の経験を通じて学んだセールステクニックで、

会って数時間足らずの相手に100万円の商品を売り上げたとする。

 

確かにビジネスマンとして考えたら超優秀かも知れません。

しかし、違った視点を提案したいと思います。

 

その視点とは

「相手があなたに払った100万円は、あなたを生かすために使われた」

という視点です。

 

いくらセールステクニックが高かろうが相手が居ないと売買は成立しません。

だから、販売者側のあなたからしたら100万円を数時間で売り上げて鼻高々かもしれませんが、

もしかするとその100万円はあなたを幸せにするために使ってくれたのかもしれないのです。

 

そしてそれはあなたのためであって、

100万円を払わせたつもりが、実は払っていただいている。

 

もちろん、払った側はそんなつもりはないと思いますが、

でも、僕にはこういう気さえしてしまうのです。

 

何故なら人間は皆幸せになるために生まれてきたからです。

 

その時あなたが何らかの理由で100万円が必要だったので、

幸せになるという運命に導かれるがごとく100万円があなたの手に渡ったのです。

 

仮にあなたが血を吐くような努力をして手に入れた100万円でもそうです。

そして、血の吐くような努力を経て100万円が手に入らなかったとしても

それはそれであなたが幸せになるためのプロセスでしかないのです。

 

ただし、ここで絶対に間違ってはいけないことがあります。

 

それは“自分の力で100万円を手に入れた”という驕りを持つことです。

 

人は皆幸せになるために生まれてきたました。

そして幸せは自分ひとりの力では達成できません。

 

あなたが手に入れた100万円はあなたの幸せを達成するためのその時の壁を超えるために

一時的にあなたに貸し出されたものであり、それはいつか返さなければいけません。

お金という形ではないかもしれませんが、”100万円は借り物”であるという意識を忘れてはいけません。

これを忘れて驕りを持ったり、執着してしまうと必ず自分にとって良くない結果になります。

 

一人ひとり違った幸せのカタチがあることを頭に刷り込む。いかなる時も決して忘れない。

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、話を整理したいと思います。

 

  • 壁を作り勝手に知らない相手を勝手に敵認定しないこと
  • 人はみな幸せになるために生まれてきたという点で平等であること
  • 幸せは、然るべきタイミングであなたに貸し出される
  • 驕りを持たず執着せず、借りたモノは必ず返す

 

こんなところです。

さて、どうすれば上記のことができるのかお伝えします。

 

それは、

一人ひとり幸せの形は違っていると、無意識レベルで理解できるほど頭に刷り込むことです。

 

 

“お前はお前、俺は俺、あなたはあなた(の幸せのカタチがある)”

常にこれを念頭に置いて目の前の人と対話するのです。

 

 

この思考があると、1つの価値観に固執すること無く

すべての人に対して平等な目線で接することができます。

 

なぜ、勝手に壁を作り、周りを敵認定してしまうのか。

 

そこに、自分は正しいという驕りがあるからです。

 

違いますよ。

確かにあなたは正しいですが、

それはあなたの世界でのみ正しいのであって

他者の世界ではその正しさは全く価値が異なるのです。

 

 

例えば、今回、

僕が朝市で勝手に壁を作ってしまったのには

こんな驕りがありました。

 

それは

「朝市というぐらいならもっと開けた場所でやるべきだ」という驕りです。

 

でもね、今回この場所このように開かれることには相手の事情があるんです。

 

詳細はわかりませんが、それは予算や日程の都合かもしれません。

ただ、今回の場所や規模感については

市や出店者の方々、皆さんが折り合いをつた「幸せのカタチ」でもあるんです。

 

そして、それに僕の世界の正しさ(幸せのカタチ)である

「朝市というぐらいなら開けた場所でやって欲しい」を押し付けるのは

一人ひとり違った幸せがあるということが頭から抜け落ちていた証拠です。

 

若干繰り返しにはなりますが、

この各々の幸せのカタチについて、どっちが正しいとか正しくないとかっていうものはなく、

ただ目の前に在るモノとして認識するだけでいいのです。

ここの時点では、受け止める必要も理解する必要もありません。

 

なぜハイパーセレブのミランダ・カーが超一般ピープルの僕に「いいね!」してくれたのか?

 

はい!ここでやっとミランダ・カーが出てきます(笑)

ここまで引っ張ってしまってすみませんww

 

 

さて、ここまでの話を踏まえて、

なぜハイパーセレブのミランダ・カーが僕に「いいね!」してくれたのか

を、考えてみたいと思います。

 

それはミランダ・カーの中に

「自分の幸せは他人(僕)とは違っている」という意識がしっかりと存在していたからです。

 

すなわち僕を平等な世界で生きているとしてみてくれたわけですね。

そして、僕もミランダ・カーと平等と思ったからコメントしたわけです。

 

(いいね!してくれた時は驚きと嬉しさで手が震えましたけどねww)

 

そして、平等な世界で生きているという認識のもと、

僕の幸せ(コメント)とその認識の上で対峙した時に、

素直に「いいね!」と思ったからいいね!してくれたわけです。

 

そこは、著名度も、お金も、容姿も、生まれも何も介在しない。

お互いが平等であるという世界の元で、

純粋にコメントの面白さに対峙して「いいね!」を押してくれたんです。

 

まぁこれは推測でしかありませんが、

でも、当たらずといえども遠からずだと思います。

 

だって、自分の名前で勝負して、その上で著名な方は

(もちろん全員ではないですが)すべからく真理に近い信念を持っているからです。

 

真理とは、人間は皆平等だということです。

 

たかが「いいね」ボタン一つ押すのに戸惑う理由(特に日本人)

 

フェイスブックをやっているとものすごい閉塞感を感じることがありませんか?

 

なんかこの人の投稿にはいいねしづらいな~とか。

そして、友達が数千人いるのに、いいねするのはいつも同じ人だったり。

 

それって多分、お互いが自分の価値観から抜けられてないからなんですよね。

 

日本のポストだといくらいいねがついても1000を超えるか超えないかレベルですが、

海外記事のコメント数とかシェア数とかすごいですよ。

余裕で万超えます。

 

例えばこんな記事。

これはいいね22万・シェア数約2万です。

 

これはいいね11万・シェア約4千です。

 

そりゃ英語がって話もあるかもしれませんけど、そうじゃないんですよね。

 

海外の人って、「自分と他人との幸せは違う」っていう英才教育を受けてるんですよ。

 

例えばこの投稿。

【日本語訳】
まずは、自分自身を愛しなさい。
あなたの残りの人生、最も長い時間あなたと一緒に過ごすのは誰ですか?
”あなた”ですよね。

 

フェイスブックだけでも、こんな感じの投稿が一日に何度も流れてきます。

そしてもちろん、僕達が接しているメディアはフェイスブックだけではありません。

テレビや新聞もそうですし、親や友達なども一種のメディアですよね。

 

こんな感じで、海外の人達って

日々、あらゆる切り口で「自分と他人との幸せは違う」と教育されてるんですね。

 

だから、自分が幸せだと思ったら

知らない人だろうがガンガンいいね押すしコメントもできるんですよ。

そして、反対に自分がしたくないと思ったら何もしない。

 

すべての行動の起因が「自分」なんです。

これができるのは、自分は自分の幸せを考えて生きている、という自覚があるからです。

そしてその自覚のもと、相手がどんな行動をしようが、それが相手の幸せであるなら仕方ない

という自分起因の平等な視点があるんですね。

 

 

反面、僕たち日本人ってどうでしょうか?(皆じゃないよ。)

 

「いいね!」ボタンめちゃくちゃ重くないですか?笑

 

(この人の投稿にいいねしたらなんて思われるだろう…)

(友達から何か言われないだろうか)

(最近絡んでないし突然いいねするのもなんかなー)

(暇人だと思われないかな)

 

とかなんとか。

 

自分の幸せを決定するのに、”他人の幸せ”まで抱え込んで迷いが生じてますよね。

何故、迷いが生じるかというと、他人の幸せなんて自分じゃ絶対わからないからですよ。

わからないものを自分の判断に持ち込んだら迷うのは必至ですよね。

 

誤解がないように言っておきますけど、

「自分と他人の幸せは違う」という考えが絶対正しいと言っているわけではありませんよ。

「他人に迷惑をかけない」とか「協調性が大事」という考えも在って当然です。

 

ただ、今はまず、自分の幸せを考えたほうがいいんじゃない?」って提案です。

 

 

そもそもなんですが、時代や環境によって、価値観って変わって当然なんですよ。

ただしそれには痛みが伴う。

自分が信じてきた価値観を変えるのって相当しんどいですもんね。

 

バブルの頃は、戦争に負けて「痛い」とか言ってる場合じゃなかった。

だから、自分たちの価値観を信じて一直線に進めたからこそここまで大きくなれたんです。

そして、今はたまたま海外の人たちが持つ価値観が有利になってきたってのが現状です。

 

 

時代は変わります。

すべての価値観は平等に存在します。

ただ、時代によってその価値が上下しているだけなんですよ。

 

自分の可能性を信じるのであれば、

「痛み」を受け入れ、少しずつ他の価値観を理解しようと努めてみてはいかがでしょうか?

 

僕たちは痛みを受け入れ変化に対応できる能力を持っています。

すなわち、これが僕達の可能性です。

 

1つの価値観に固執することは自分の可能性を否定するということです。

 

人間には皆平等に可能性があります。

 

僕たち日本人は、学歴とか貯蓄とか肩書の表面上の情報で

相手を判断してしまうことが多いように感じます。

 

それに比べて、(僕が関わった)海外の人は

表面上の情報はあくまで1つの価値であり、それがすべてを決定しません。

 

なぜなら、海外の人は

「自分と他人の幸せは違う」とわかっているからです。

 

今、世界には74億人が暮らしています。

たかが1億3000万の人と価値観が合わないからと言って自分の可能性を諦めないで下さい。

 

海を1つ超えた先には、あなたの可能性を平等に活かせる場があるかもしれません。

 

だから僕は「自分が思っている以上に世界は平等かも知れない。」と思うわけです。

 

※ただし、たかが100人に接したとかで、1億3000万人を勝手に見限らないようにして下さい。

 

自分の可能性を知る方法、信じる方法

 

平等とはいいつつも何だか差があるように見えるのは、

可能性を信じる強さの違い、そして信じて生きてきた期間の違いです。

 

すなわち、僕達が人生を好転させるためにやるべきことって、

自分の可能性を出来る限り強く信じて、毎日を生き抜く。

 

ただこれだけなんですよね。

 

「いやいや、そうは言われましても俺の可能性ってなんやねん」

って言いたくなる気持ち、わかります。

 

お答えさせていただきます。

 

  • 自分の可能性とは、自分の理想の人生(自分がやりたいこと)を知ること
  • 自分の可能性を信じる事とは、理想の人生を否定しないこと

 

です。

また気付いたら原稿用紙15枚ぐらい書いてるんですけど(笑)

気にしつつも一つ一つ説明させていただきますね(´;ω;`)

 

自分の可能性(自分の理想の人生)を知る方法

 

僕が、自分の可能性(以下、理想の人生)を知るための1つの方法として提案したいのが

海外旅行へ行くことです。

 

さて、なぜ海外旅行って楽しいのでしょう?

 

それは、普段抑制している自分が解放されるからなんですね~。

その抑制から一旦離れて、自分をリセットできるんです。

そして、このリセットしたときの「感覚」こそが自分を知る手がかりなんです。

 

何故ならリセットを阻害する人間関係や環境などのしがらみがほとんどないからです。

 

この観点からすると、別に国内旅行の見知らぬ土地に行くのもいいんですが、

日本人っていうだけで、常識やしがらみがでて中途半端にしかリセットされないんですね。

なので、国内旅行に比べて腰が重そうな海外旅行のほうが実は手軽なんです。

 

そして、海外旅行に行ったら必ずしも楽しまなきゃいけないというわけではありません。

楽しめなかったら楽しめなかったで、それが自分の幸せの手がかりなわけです。

 

海外旅行なので抑制された自分をリセットした時に感じた

楽しさや悲しみ、モヤモヤ感、開放感など、

この些細な感情こそがあなたの可能性なのです。

 

2つの例を挙げます。

わかりやすいように収入を例にしますね。

 

  • 例1:「ケチケチする貧乏旅行はあんまり楽しくないな」

→じゃあ常にお金に余裕が持てるようもっと収入を増やしてみようかな?

 

  • 例2:「お金がなくたってこんなに楽しめるんだ!」

→楽しみを犠牲にしてお金のために働く必要はないのかな?

 

この時、自分が「どの程度の金額目標を置けるか」がイコール自分の可能性です。

 

例1で100億と言うのは簡単ですが、実現可能であると思うには

それなりの人生経験が必要です。

例2で「じゃあ無職でいいや」って振り切れるのも相当な人生経験が必要です。

 

僕は最近、職業を訊かれたら「無職です」と答えますが、

やはり、この発言の覚悟を理解してもらえる人もらえない人がいます。

 

よく自分探しとか言って海外に答えを探しに行く人がいますが、

海外に答えはありません。あるのは手がかりです。

 

その手がかりは必ずしも閃きや楽しみなど一般的な形では訪れないかもしれません。

でも、未体験は必ず自分に手がかりを授けてくれます。

 

その手がかりをどう自分に繋げるのか。

 

やはり、自分起因が大事なのです。

 

  • ・可愛い子には旅をさせよ
  • ・獅子は我が子を千尋の谷に落とす

 

冷たいかもしれませんが、あなたの親は親ですが、究極的に言えば別の人間です。

自分の可能性を見つけられるのは、自分だけです。

 

自分の可能性を信じる方法

 

さて先ほど例に挙げた収入の話で、

「よし、自分は月収100万になる!」と決めたとしましょう。

「無職になる!」ってのでもいいですよ。

 

この立てた目標が自分の可能性です。

そしてこの目標に対してどれだけ一直線になれるかが自分の可能性を信じるということです。

 

自分の可能性を信じないのは簡単ですよ~。

 

「もっと堅実な人生を生きようよ」

「仕事後のビールこそ最高の幸せじゃね?」

「足るを知ろうよ」

 

なんて、言ってくれる人たくさんいますからね~。

そして、その助言を受け入れたほうがラクですよね。孤立奮闘から味方が一気に増えますもん。

 

でもその時点であなたは他人の可能性に囚われました。

そして、この囚われた状態では絶対にあなたの立てた目標は達成できません。

 

ちょっとニュアンスが難しいんですが、「聞く耳持たず」とは違います。

目標の達成に必要だと自分が判断したら、

立場も年齢もプライドも関係なく、教えを乞うことも辞しません。

 

近い言葉で言えば「無我夢中」「目標必達」「背水の陣」

“急がば回れ”ではなく「全力疾走で急いで回る」といった感じです。

 

世界は思っている以上に平等です。

職業や肩書、お金、友人の多さ、ルックスなんてものに囚われる必要はありません。

皆平等であるという前提の元、

自分の可能性を信じて、目の前に表れたものを純粋の楽しめばいいんです。

 

その瞬間、毎日がとても楽しくなりますよ(^_^)

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