大切な人を大切に扱う方法~麻原彰晃の娘”アーチャリー”こと松本麗華さんの自伝を読んで~

こんにちは!

 

先日、アマゾンを見てたら、松本麗華さんの自伝を見つけて何故か直感的に買ってしまいました。

 

松本麗華(”まつもと りか”と読みます)さんは、あのオウム真理教、麻原彰晃氏(本名:松本智津夫)の三女です。

 

僕がオウム真理教について知っていることと言えば、

  • 地下鉄サリン事件で沢山の人が亡くなったと言うこと。
  • そして、その主犯(とされている)が麻原彰晃氏であるということ。
  • また僕はその時、小学校5年生?ぐらいだったと思うので、「オウム…?鳥?」ぐらいにしか考えておらず、大事件ながらほとんど何も知らなかったこと。

 

 

1995年に起こった地下鉄サリン事件から20数年たった今、

果たして事件の渦中に居た方が語る事件はどんなものなのか、

その興味が僕に本を買わせたんだと思います。

 

・・・・で、実際読んでみたんですが、まずその文字量の多いこと。

巻末に書いていたんですが、なんと原稿用紙1000枚超え!

文字数40万文字超えです。

 

そりゃ、読むのにほぼ丸2日かかりますわ。

 

で、実際どうだったかと言えば、

「人間ここまで強く在れるのか…」と麗華さんの強さに驚きつつ、

最後の締めくくりの部分で、感極まってしまいました。

 

オウム真理教、麻原彰晃の三女アーチャリーというだけで

負の偏見を持ってオウム関連の物事に接していた自分を恥じるとともに、もったいないことをしたなと思いました。

僕は今年で30歳になりますが、寿命で死ねるのであれば、あと2倍弱は生きるわけです。

 

麗華さんは僕より4歳上みたいですが、今は女性の方が寿命が長いので

麗華さんも同様に、今まで生きてきた2倍弱の時間が残っているわけです。

 

あくまで僕の直感でしか無いですが、

麗華さんは、残された未来の時間で、

何らかの偉大なことを成し遂げるのではないかという予感があります。

 

それぐらい

自分の未来の可能性(希望)を信じて強く生きている。

そんな印象を彼女の文章から受けました。

 

オウム事件に関して読んだ本はこれが初めてですので極端な事は言えません。

でも、僕は彼女を肯定する方向で、理解するよう努めたい。

少なくとも現時点では、こう思っています。

 

もちろん内容の真偽は不明なのですが、

この麗華さんの自伝にウソがあったとしたらそれはそれで凄い才能だと思います。

仮にウソだとすると、偉大な事ではないかもしれませんが、

いずれにせよ歴史に名を残す可能性は高いと思います。

 

僕は、本やドラマは、ノンフィクションのドキュメンタリーとか偉人伝とかが好きで反対に、SFやトンデモ設定のフィクション物はあんまり好みではありません。

 

多分、この嗜好にある僕の思いとしては「事実は小説よりも奇なり」がなんとなくわかってるんだなぁ、と今回麗華さんの自伝を読んで少し分かりました。

 

もし機会があれば、ぜひ第一章だけでも読んでもらえればと思います。

だって、”悪の親玉”(とされている)麻原彰晃氏が良いお父さんとして語られていますから。

ここだけでも、「え?俺の知ってるのとぜんぜん違う!」ってなりますよ。

 

大切な人を大切に扱う方法

わたしは10年以上東京拘置所に面会に通ったなかで、現在死刑囚となっている人々や無期囚の人々の深い苦しみを知りました。父に対する感情も、単純に整理できるようなものではなく、裁判で語られた話や報道される話は一面に過ぎず、複雑な思いを持っているのだと驚いたのも事実です。わたしが彼らの立場だったら──と想像すると、父に対して恨みや、その他複雑な感情を持つのも当然のことのように感じます。

松本麗華. 止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記

 

上部引用の「私が彼らの立場だったら」と考える事、

これが「大切な人を大切に扱う方法」だと気付きました。

 

なぜなら相手の立場に立って考えられるこそ思いやりであり、

その人に対する愛がないとできないことだからです。

 

僕が、麗華さんの凄いなと思う所は、

すべての責任を父に押し付けよう見えるオウム事件の実行犯とされる方々に対しても

「彼らの立場」に立って物事を考えてあげられているところです。

 

そして、だからといって彼らに対して何もしない。

ただ相手を理解することに努め、自分事として受け止めようとする所。

ここに彼女の強さを感じました。

 

 

・自分の大切な人を大切に扱えていますか?

誰しも自分が大切に思っている人は少なからず居る(もしくは、居た)かと思います。

でも、時には、その大切な人から

「どうしてそんなヒドい事できるの!?」と、裏切りにも思うような行為を受けることもあると思います。

 

でも、その時、その人のことを本当に大切に思うのであれば

「自分が彼(彼女)の立場だったら…」と一度考えてあげること、

これが大切な人を大切に扱う方法だと思います。

 

何故なら、麗華さんが

“(現在死刑囚となっている人々や無期囚の人々の)父に対する感情も、単純に整理できるようなものではなく、裁判で語られた話や報道される話は一面に過ぎず、複雑な思いを持っている”

と言っている通り、誰しもその一時で推し量れるような単純な人生を歩んでいないからです。

 

裏切りとも言える言動に至るまでには幾つもの積み重ねがあり、

この積み重ねあっての言動なので、

この積み重ねを忘れてその言動だけで大切な人を判断してしまうのは

その人に対して愛を持っていないのと同義かとすら思います。

 

死刑囚だから、とか麻原彰晃の娘だからとかで

その人を判断するのは、人間として相当傲慢な行為だと思いました。

 

・麗華さんの家庭事情

 

さらに、麗華さんの家庭は、麗華さんが語る上で、僕はこんな印象を受けました。

  • 父(麻原彰晃):自分に起こった出来事を受け入れポジティブに捉え、自分の可能性を伸ばそうとしてくれる
  • 母:自分の判断や出来事をネガティブに捉え、自分の枠内の収め、自分をコントロールしようとする
  • 姉:妹を気遣いながらも両親のどっちにつけばいいかわからない
  • 自分(麗華さん):お父さんのことが大好きな自分。お母さんのことは嫌いとはいかないけど苦手

 

あくまで僕の主観でしかないですが、僕はこういう家庭事情を想像しました。

これは極めてよくある家庭の構図だと感じました。

 

この構図に当てはまる家庭なんかそこらじゅうに溢れているのに

これをオウムだから、と否定してしまうのは何だか、愛が足りないというか

現実を見ず、いいとこ取りをしようとしているようにも思えるのです。

 

先ほど言ったように、人間は皆平等なわけです。

そして、個人個人、他人には絶対に理解できない複雑な過去を抱えて生きている。

 

だから、その人の過去を考えること無く、

表面上の情報だけで、相手を判断してしまうのは

自分だけ特別だと思っている傲慢の証拠でしかないだと思います。

 

自分だってもしかすると、オウムの家庭に生まれたかもしれないんです。

 

それがたまたまオウムじゃない家庭に生まれただけ。

運が良かったとか悪かったとかじゃなく、たまたまその環境に生まれただけです。

そしてその環境で育ってきただけ。

 

それを、鬼の首でもとったように「オウムを断罪せよ!」なんて…

松本麗華さんの強さが感じられる文章

さて、最後に僕が麗華さんは「強い子だな」と感じた部分の引用とその理由について述べさせていただこうと思います。

 

僕が麗華さんに対して最もその印象を受けた理由は、大きく以下の2点です。

 

  1. 正大師(教団ナンバー2ポジション)や麻原彰晃の娘じゃなく、麗華さん個人として生きようとしている
  2. フィクションのような環境でも、自分の可能性を諦めず、迷い苦しみながらも一歩を踏み出している

 

この2点を踏まえて引用を読んでいただければと思います。

※ちなみに強い”子”と感じたのは、作中のほとんどが12歳~大学生卒業ぐらいの事で、今の僕より年下の時だからです。

 

わたしが編入する学年は小学校五年であること、編入までに学校以外の施設で一ヵ月間ほど、学校生活に関するオリエンテーションを行い、そこでの観察の結果は地域の人たちに報告することを告げられたのです。

(中略)

結局、教育委員会と話し合った結果、自宅学習をすることになりました。学籍を作っておけば中学三年の年齢の秋に中学校卒業程度認定試験を受けることができ、その試験を受けて合格し、高校を受験すれば同じ年齢の人と高校生活を送れると思ったからです。このころからわたしは、翌年の試験に向けて、勉強を始めました。

松本麗華.止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記

 

この文章からは、不条理を言い訳にせず、この不条理を噛み締めた上で、一歩を踏み出せる強さが感じ取れます。

だって、日本中の殆どの人が当たり前と思っている義務教育ですら、

監視され、その(偏見に満ち溢れた)テストに合格しないと入学できないんです。

 

語弊があるかもしれませんが、”弱い人”は、ここで延々と変えられない事実について異議を唱えるのです。

 

鑑別所では、留置場とは比べものにならないぐらい大変な思いをしました。監視カメラ付きの部屋に入れられ、わたしは二四時間、監視されることになったからです。これは特別な処遇でした。加えて、日記の提出、『走れメロス』を読んでの読書感想文、心理テストなどをたくさんさせられ、わたしの怒りは頂点に達しました。心を覗き見される、こんなモルモットにされるぐらいなら、もう心を閉ざして暴れてやる。わたしの将来も含めて、すべて捨ててやる。わたしの心の自由だけは、誰にも侵させない。そう強く思いました。 わたしは日記提出を拒否し、読書感想文も心理テストも拒否しようとしました。心の中を覗くことだけは、許さない。そう思っているのに、勇気が出ず、「松井先生に相談するまで待っていただきたいです」としか言えませんでした。それでも、「決まりだから、やらないとだめ」と言われると、職員の言う通りにしていました。

松本麗華.止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記

 

「決まりだから、やらないとだめ」

今の世の中では、良く聞く言葉ですが、この謎の”決まり”(常識とかルールとも言う)が世の中を生きづらくしている原因の1つだと思います。

決まりも、常識も、ルールも他人の価値観でしかありません。

何だかよくわからないけれど力のある”他人”が、その人の都合で決めたのが、”決まり”なんです。

 

 

これが、最後の引用になります。これは僕の解説は不要だと思います。

純粋な気持ちで読んで頂き、麗華さんの強さを少しでも感じていただければ幸いです。

※ちなみに、2000年で今から17年前ですので、この時、麗華さんは17歳とかそこらです。

 

『荒波』(二〇〇〇年四月一二日)

 

嵐が来ても決してあきらめない

荒波に飲まれても決してあきらめない

あきらめたらそこで終わってしまう

 

最後の最後まであきらめない自分でいたい

後悔のない生き方をしたい

自分を愛せる生き方をしたい

 

溺れてしまいそうなほどの荒波だけど

あきらめてしまいそうな嵐だけど

わたしはそこで何かをつかみたい

あきらめない限り明日は必ず来るのだから

最後の最後まであきらめない自分でいたい

 

後悔のない生き方をしたい

自分を愛せる生き方をしたい

 

この嵐の中で

わたしは何を得られるだろう

 

何度も何度もあきらめかけた

何度も何度ももう終わりだと思った

 

苦しくても元気になる時があってその時に祈った

最後の最後まであきらめない自分でいたい

 

後悔のない生き方をしたい

自分を愛せる生き方をしたい、と

 

あきらめなかったわたしが今ここにいる

それだけが真実だよね

 

松本麗華.止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記

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