「君には期待しているよ」「お前には期待していないから」どっちも気をつけて!!

期待に応えない生き方 -他人に合わせないで自分をとりもどす

最近、徒歩5分のところに市営のジムがあることを知りました。

1回340円という破格でございます。

早速先日行ってきたところ、

しかも人もほとんどおらずマシンも使い放題だったので、

張り切って筋トレしたら久しぶりに筋肉痛を味わっております(T_T)笑

まぁ筋肉痛になるってことはまだまだ伸びしろがあるってことですので

次回からは気をつけて計画的に使おうと思いますw

さて、今日は、「期待」という言葉についてお話させていただこうかと思います。

お前には期待していたのに…

「お前には期待していたのにガッカリだよ!」

先日、食器洗いをしている時に、嫌いだった上司の言葉を、何故かふと思い出しました。

入社して初めての現場研修の時に、2つ上ぐらいの先輩に言われた言葉です。

その時は、

「ああ、俺ってダメな奴!!」と、先輩の期待に応えられなかった自分を悲観しました。

しかし、今では、この言葉に対して全く解釈が違います。

言われたら言われたで嫌な気分になるのは間違いないです。

でも、自分を悲観するのでなく、悲観するのは相手です。

そして自分を変えるのではなく、以後できるだけ相手と関わらないように努力します。

こんなことを言うと、

嫌なことから逃げて自分に甘い奴と思われるかもしれませんが、

そういうことではございませんw

多分似たような経験がある方も多いと思います。

そしてこの記事を読んでくださっているということは、

「期待」という言葉についてひっかかりがあってのことだと思います。

そのひっかかりが少しでも楽になってくれればと願いを込めて

記事を書いておりますので、

また毎度のこと、長々と書きますがお時間をいただけると嬉しいです笑

「期待」という言葉にどういうイメージを持っていますか?

さて、あなたは「期待」という言葉に対してどのようなイメージを持っていますか?

僕は、以前は「期待されたい」という気持ちでいっぱいでした。

「佐伯くんには期待しているよ」とか言われたら嬉しかったです。

が、今は必ずしも嬉しいこととは思いません。

それどころか、「期待しているよ」と言われる事に対しては

嫌な気持ちになることのほうが多いかもしれません。

何故か?

「期待しているよ」という言葉は、

相手が自分をコントロールしようとしている事の証拠だからです。

「期待してるよ」的な言葉を言われたら

「あ、この人、自分の都合のために相手をコントロールする人だな」って思います。

「期待しているよ」という言葉は、あなたをコントロールしよう試みている証拠、

「期待してたのに!」とか「期待はずれだよ」という言葉はあなたをコントロールした結果、

自分の幸せに貢献しなかったあなたに責任を転嫁している証拠です。

そして自分の苛立ちを抑えられないor隠したいが故に、あなたに八つ当たりしているのです。

僕が、このブログを通して伝えたいことは

「一人ひとり必ず幸せになる運命にある。でもその幸せの形は一人ひとり違う

ということです。

そして、自分の幸せは、自分でもわかっていない事のほうが圧倒的に多く、

ましてや他人になんて「自分の幸せ」がわかるはずもないということです。

誤解しないでいただきたいのは、

「期待していたのにガッカリだよ!」と言う人から逃げる人から距離を置くのは、

決して逃げているわけではありません。

自分の幸せを見つけるためにも、

「自分の幸せのために他人を利用するような奴」に構っている時間はないということです。

それぐらい必死でやらないと、

自分が生きている間に「自分だけの幸せ」にたどり着けないのです。

なんかこんなことを言うと、「現実が見えてない」とか「大人になれよ」とか

人生を良くご存知の方から「若いっていいね」とか言われることがあるんですけど、

はっきり言って、現実見ずに逃げているのはあなたでしょ、と言いたいですわ。

こっちは、必死で人生を楽しもうと努力してるんですわ。

だから、どんな経験であろうが自分の幸せのために必要だって思ってるし、

「幸せになる努力」をしてるんですよ。

「仕事だから仕方ないよね」とか「お金が無いと何もできないよね」とか「家族が居るから」とか

物事を悲観的に捉えて「不幸になる努力」をされていらっしゃるようですがね。

自分が幸せだと思いこむために、他人を利用しようとするなよって言いたいですわ。

自分が幸せになるために、その決断をされたんだったら

愚痴とか不満を言うのはおかしいんじゃないですか????

自分への期待外れを、まるで周りが強制したかのように言うのはよしこさんしていただけますか??

・・・・・(^_^)

さてさて、熱くなって戻ってこれなくなりそうなので、話を戻しますww

自分に期待してくるような奴なんて無視しておけばいい

結局、何が言いたいのかというと

「期待してるよ」とか「期待外れだよ」とか言ってくるような人間は無視しておけばいいってことです。

少なくとも、そんな奴の言葉にあなたが時間を割いたり、

ましてや心を痛める必要なんて全くありません。

その言葉は、すべて相手が自分の幸せのためにあなたを利用しようとした行為であり、

あなたがどうしようがあなたの幸せに貢献することは殆ど無いからです。

更に最悪なのが、変に相手の期待に応えてしまうことです。

だって相手からしたら

「あ、こいつ自分の幸せのために利用できるわ」っていう確信を覚えちゃうからです。

そして、最も気をつけるべきは、

これは殆どの場合「無意識下」で行われているということです。

そして「相手の成長のために」とか勘違いして善意と思っている場合がほとんどです。

皆”いい人”で居たいですからね。

他人への期待というのは相手の幸せを侵す行為です。

相手に自分の期待通りの言動をしてほしいのであれば、

「あなたの人生の時間を、僕の幸せのために少し貸してくれませんか?」ぐらいの気持ちで

最大限の謙虚さと敬意を持ってお願いすべきです。

だって、相手にとって最も大切なのは、その人自身の幸せであって、

あなたがその人の幸せをおすそ分けしてもらう権利なんてどこにもないからです。

「たかが少しお願いしてるだけじゃん」って思うかもしれません。

しかし、鋼の錬金術師じゃないですが「一は全、全は一」です。

そして二宮金次郎が言ったように

「小事をなさざる者、大事を成さず」です。

要は、その「ちょっとのお願い」こそ全てであり、

ちょっとお願いしちゃうような人が、

相手の人生をコントロールしないなんて覚悟を持って相手に接するのは不可能なのです。

普段から愚痴や他人の悪口を言っている人は、大切な人に対してもいつか愚痴や悪口を言いますし

足し算も引き算も出来ない人が、微分積分が必要な問題を解けるはずがないですし、

普段「不幸になる努力に躍起な人」が幸せになるはずがないのです。

部下、上司、同僚に対する期待は、傲慢である

もともと、僕の元上司の「お前には期待外れだよ!」って言葉から始まったこの話ですが、

この発言の背景にあるのって「先輩の傲慢」なんですね。(以後、先輩=Oさんとします。)

傲慢は、思い込みや勘違いと置き換えても良いです。

(新入社員だった)お前が言うなよって話になるかもしれませんが、

まぁ優しい世界で生きたいのであれば少しだけ耳をお貸し下さいw

僕が、Oさんから「期待外れだよ」って言われたのは、入社して2ヶ月目。

要は仕事についてはほとんど何もわからないペーペーの給料泥棒のわけです。

一瞬だけ脱線しますが、給料泥棒ってのも

雇用者から言われたら「そうですね。すみません。」と頭を下げる余地もありますが、

部長だろうが次長だろうが先輩だろうが、同じ雇用者に言われるのは違うわけです。

だってそいつが僕に給料くれるわけじゃないですし、

雇用者からしたらその先輩すら「給料泥棒」と思ってるかもしれないんです。

もちろん雇用者からしたら面と向かって「給料泥棒」なんて言いませんよ。

だってそんな一言で辞めさせては、今まで自分がかけてきたお金がムダになっちゃうんだもの。

さて、話を元に戻します。

おそらく僕に対して「期待はずれ」と言うからにはOさんが入社して2ヶ月の時は、もう少し仕事ができたんでしょうね。

だから、自分の時と比べて「期待外れだよ」って言葉が出たんだと思います。

でもね。

僕がOさんと同じように仕事を覚えなきゃいけない理由なんてどこにもないわけです。

そして「自分(Oさん)がこうしたのだから、こうするべきだ」何ていうのは

「自分の仕事の仕方が正しい」という傲慢の表れなわけです。

そして、この傲慢は期待でもあるわけですね。

さらに言えば、雇用者にとっちゃ実は迷惑かもしれないんですよ。

だって、会社にとって損失になる可能性を孕んでいますからね。

何故なら、事業成長の可能性がその人の考えの枠内に収まるからです。

一応、自分で4年間会社を経営した経験を元に言わせて下さい。

例えばですが、あなたが何かのコンサルタントだとしましょう。

コンサルタントであれば、自分で自分の顧問料を設定するわけです。

そしてその設定した顧問料=売上=事業の可能性なわけです。

月額顧問料100万です。と提示した矢先、クライアントが決まっても

「君は優秀だから200万払うよ」なんてことはまず無いわけで。

部下に対しても同じで、

上司が部下のことを10と思っていれば10の枠内でしか部下は育たないわけで。

蛙の子は蛙ってやつです。

だから、例え仕事であっても、「期待外れ」という言葉で、

自分の枠内で仕事を限定してしまうのは、潜在的な事業損失なのです。

今の売上はもちろん、

将来、部下が稼いだかもしれない売上も小さくなっていきます。

会社の最大の目的は、売上(利益)を上げることです。

いかに効率的に完璧に業務をこなそうが、利益が限定されるのであれば

雇用者としては、あんまり嬉しい状況ではないわけです。

効率よく仕事をこなすために生きてるんですか??

さて、また大前提の話の戻りますが、

僕たちが生きているのって決して「効率よく仕事をこなすため」ではなく

「自分だけの幸せ」を見つけるため、なんですよね。

もっとクサい言い方をすれば「幸せになるため」に生きているんです。

その上で、Oさんの期待から外れて困るのって部署でも会社でもなくて「Oさん自身」なわけです。

僕が期待通り仕事をしないと、何らかの形でOさんが考える「自分だけの幸せ」が果たせなくなるんでしょうね。

それはOさんの精神衛生かもしれないし、僕に割く時間かもしれません。

さて、そろそろお気づきかと思いますが、

僕はずっと自分のことを棚に上げて、Oさん批判に終止していますよね。

この棚上げは思いあってのことなんですが、

Oさんという一応固有名詞を出して、しかも僕が過去の僕をかばう形になったせいで

なんか感じが悪くなってしまいました(^_^;)

皆さんのこの気付きを解消すべく、

この話のおかしな点を2つを挙げて話のまとめに入りますね。

まず1点目。

Oさんは強制労働を強いられているわけではないということ

出来の悪い後輩が居ることで、自分の幸せを果たせないと思ったら

仕事を辞めるという自由がOさんにはあるわけです。

当然ですが、会社で働くことは強制労働ではないわけです。

会社から一方的に「辞めろ」とは言うのは現法上ほぼ不可能ですが、

社員からの「辞めます」は簡単に通ります。

そして、幸いにも働き口はいくらでもあります。

少なくとも2017年の今の日本で、仕事がなくて餓死するなんてことはまずありえません。

そして、2点目。

僕も同じように強制労働を強いられているわけではないということ

当時は、「Oめ!腹立つわ!クソが!」って思ったもんですけど

でも僕にだってOさんと同じように、仕事を辞める自由はあるわけです。

だからOさんと同じように「自分の幸せ」を果たせないと思ったら

「辞める自由」は同じように僕にもあるわけです。

これを「Oさんはヒドイ人間だ。おかしいのはOさんだ」とか言って

辞める自由を棚に上げることは、

自分の幸せになる運命を放棄していると言っても過言ではありません。

そして当たり前ですが、Oさんも僕も「仕事をしない自由」もあるんですよ。

誰もお前に期待してないよ。

「そんな辞めろ辞めろってさぁ、社会が回らなくなるよ??」

「今、俺が抜けたら会社は回らない」

「家族も子どもも居ないお前は気楽なことが言えていいよな」

こういう類の話をすると、結構な割合でこういうことを言われます。

一つ一つ反論すると長くなるので一言にまとめますね。

僕の反論は、

「誰もお前に期待していないよ」

です。

会社だって家族だって子どもだって、誰もあなたに食わせてもらおうなんて思っていません。

会社が「社員は家族です!」とか言うのだって、結局会社が維持or成長するための”福利厚生”だし

雇用者なんて社員とは覚悟のレベルが違うから、社員1人が抜けたぐらいで余裕で会社なんて回せるし、

家族が「仕事ありがとう」って言うのだって、他人に感謝できる自分に浸りたいからです。

あなた1人が居なくなったところで、社会は何の変化もなく回るんです。

だから、自分が社会の期待の全てを背負っているかのように、

自分を追い詰めても、その期待が成就することはないわけです。

と、あえて冷たく書かせてもらいました。

ただここでもう一度大前提を思い出して下さい。

【大前提】

  • 僕たちは必ず幸せになる運命にある
  • ただし、幸せの形は一人ひとり違い、「自分だけの幸せ」がある
  • 「自分だけの幸せ」は他人は絶対に知り得ない
  • 「自分だけの幸せ」は必死で探し求めないと見つからずに死ぬ

だから、僕たちは”自分の”幸せを見つけるために必死にならないといけないんです。

「これが自分の幸せだ!」って感じたら、それに向かって決断し行動するのです。

その行動が、就職だったり結婚だったり子どもを授かることだったりするわけです。

ただし、幸せの形は一人ひとり違っています。

就職や結婚があなたにとって「自分だけの幸せ」とは限りません。

でも、就職や結婚が「自分だけの幸せ」な人ももちろん居るわけです。

だから、それでいいじゃないですか。

「自分だけの幸せ」を追い求めた結果「幸せ」だからそこに居る。

この環境に何の不満があるんですか?

誰に期待する必要があるんですか?

「就職」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「勤労」が、他に人にとって幸せとは限りません。

「お金」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「家族」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「子供」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「海外旅行」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「無職」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「皆と同じ」が、他に人にとって幸せとは限りません。

「オンリーワン」が、他の人にとって幸せとは限りません。

「他人の幸せ」は他人たる自分には永久に知りえません。

だから、自分の幸せだけを考えて生きれば良くないですか?

そして、お互いの「幸せの形」に一致したのであれば、共に居る。

違うなら離れる。

極めてシンプルな話だと思うのです。

でも、これがこじれるのって「期待」があるからなんですよね。

皆さん一人ひとりが、

「自分には自分の幸せが、あの人にはあの人の幸せがある」って認め会えれば

誰にも期待する必要はなくなります。

  • 「30歳までには結婚すべきだ」
  • 「時間は守るべきだ」
  • 「貯金は最低でも3000万は貯めるべきだ」

なんて、変な期待を背負って社会と接さなく良くなります。

自分が幸せであれば、結婚しなくてもいいし、時間も守らなくていいし、貯金もなくても良いんです。

そして、周りもそれを認めてあげて下さい。

決して「期待」をしないでください。

だってその人にはその人だけの幸せの形があるんですから。

そしてあなたにもあなただけの幸せがあります。

そしてその幸せに基づいて行動できる自由があります。

あえて期待するとしたら、どんな状況であれ

「自分は必ず幸せになれる」という自分の可能性だけでいいと思うのです。

あなたを幸せにできるのは「あなただけ」です。

ひたすら自分だけに期待して生きていきましょう*\(^o^)/*

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