人生をもっと楽しむ方法1~人種と国籍を(できれば年齡も)忘れてみる~

こんばんは!佐伯です(^_^)

 

先日、4泊5日でマカオに行ってきました!

 

記事トップの写真はマカオのカジノエリアにあるホテルの天井です。

マカオは以前、ポルトガルの支配下にあったので、ポルトガルの影響が強く残っていました。

 

看板の案内も、広東語の次に、ポルトガル語で、僕にとっては何の案内にもなりませんでしたw

 

さて、今回の旅行もフィリピン人の友達のツテで行ってまいりました。

自宅に泊まらせてもらった上、

色んな所に案内してもらった上、

友人の友人達とも凄く楽しい時間を過ごすことができて、

 

やっぱり「フィリピン人最高やー」ってしみじみ思ってたんですが、どうやら違うことに気づきました。

 

フィリピン人じゃなくて、各個人が最高なだけでした。

 

今回はこのことについて記事にしようと思います。

 

ジョンという僕がほしいすべてを持っている男

さて、僕の友達で顔を真っ赤にしているのが、ジョン。

今回の旅で初めて会ったマニラ出身のフィリピン人です。

 

聞けば聞くほど才能に溢れる男でした。

 

まず、何と言っても体格がヤバい。

そしてこの肉体のくせに普通にコカコーラが大好き。

食べ物だってほとんど制限していない様子。

 

何で身体を作っているのか聞くと、

  • クライミング(ボルダリングの方が好き)
  • バレーボール(選手として活躍中)
  • ランニング(ほぼ毎日早朝10km走ってる、らしい)

 

 

ここらで終わりかと思ったら、

ギターは弾けるわ

料理もできるわ(過去に調理師を5年)

その上、絵も書くとのこと。しかも抽象画で、作品を見せてもらいました。

 

しかも極めつけは、クモとヘビを飼っている変態さも兼ね備えている。

 

まだありました。

実は、結婚していて息子もいるらしいです。

そして、もちろん英語もペラペラです。

 

そう、このジョンという男。

僕が欲している物をすべてボクより高いレベルで所持している男でした。

しかも図ったかのようにピンポイントで。

 

(矢印の先は、僕の現状)

  1. 鍛え上げられた肉体→ほぼ毎日身体鍛えてるけどジョンみたいにデカくムキムキになれない
  2. クライミングスキル→趣味程度
  3. バレーボールスキル→中学校の頃バレー部やったけどチビだったんでアタック打ったことがない
  4. ギター→7年やった末スケールもろくに覚えられずに挫折
  5. 料理→料理教室通っているけど趣味程度
  6. 絵画(抽象画)→岡本太郎さんの著書に影響を受け、抽象画を描こうとしているところ
  7. 飼育→犬か猫を育てたい
  8. 結婚→結婚は経験したい
  9. 子供→結婚したのなら子育ても経験してみたい
  10. 英語→勉強中だけどまだまだネイティブには程遠い

 

 

あれ?僕、全部負けてるやんって思ったんですけど

ジョンと接してると不思議と劣等感を感じなかったというか、

心地よく空間を共にすることができたんですね。

 

多分これって

僕という人間に付加された情報じゃなくて、僕という人間を見てくれてからだと思います。

 

一つだけ、情報(インフォメーション)としてジョンに勝っている点があるとしたら、

ビジネス経験と自由さなんですが、

でも、ジョンにそれを話しても特段何も反応がありませんでした。

 

反対に、僕に勝っている上記のあらゆる点に関しても

「教えてあげるよ」みたいなことを言ってきませんでした。

 

そんなスキルとか経験より、

「それを通して、お前という人間は”今”この場にどんな貢献ができるのか?」

を問われている気がしました。

 

人間をインフォメーションで視ない。パーソナリティを視る。

 

「東大卒で、ハーバードに留学してMBAをとりました」

「三菱商事に勤めています」

「会社を興して年収2000万です」

「ギターの腕前はプロ級です」

「ミシュランのレストランを1日に3軒はしごする食通です」

 

こういうインフォメーションを見た時どう感じますか?

なんか意味がわからないけど、少なからず競争心を覚えませんか?

 

 

僕達日本人って、インフォメーション信仰が異常に強いんだと思います。

だから、初対面の人にあったらとりあえず質問しません?

 

「どのようなお仕事をされているんですか?」って。

 

これって単なる話のきっかけかもしれませんが、

この言葉が無意識に出ることこそ、インフォメーション信仰に染まっている証拠だと思います。

 

そしてこの言葉をきっかけに探り合うんですよね。

 

(俺とお前、どっちのインフォメーションが上か?)

 

って。

 

でも、皆さん薄々気付いていると思うんですよね。

 

東大卒だろうが、MBAだろうが、どこそこの会長だろうが、なんたら賞をとっていようが

 

クソはクソって。

 

 

言葉が悪くなりましたけど、でも多分皆さん言葉は違えどわかってるはずです。

 

“インフォメーション”はその人を定義するものじゃないんです。

 

 

だから、結局は、誰に対してもウソはつけないんです。

見栄や強制でとったような学位や資格や社会的地位なんて、

皆、ハリボテだってわかってるんです。見透かされているんです。

 

「じゃあ何でそういう人が社会で活躍してるのかって?」

 

それは、そういう価値観で生きている人が多いってだけです。

そんなものハリボテだって気付いていない人のほうが大多数なだけです。

 

 

その人達に問うてみてください。

 

「あなた、幸せですか?」って。

 

その人達は賢いのできっとそれっぽい答えが返ってきます。

もうね、その時は放おっておいてあげてください。

 

だって僕たちは、

その人の価値観を変えられないし矯正することだってできないんだから。

 

だからね、僕達もそいつらの価値観に矯正させられる理由なんてないんです。

インフォーメション?クソ食らえ。

 

お前からそのインフォメーションを剥ぎ取ったらお前に何が残るんだよ?ってね。

 

事業部長様だろうが、MBAだろうが、なんたら賞だろうが、

結局は1人のおっさんなんですわ。

 

“一人のおっさん”として、お前何ができるの?

これが最も大事です。

 

なぜ、フィリピン人はパーソナリティ信仰できるのか?

 

今回の旅行で気付いたことがあります。

なぜ、フィリピン人はナチュラルに目の前の人のパーソナリティを見れるのか?って。

 

それって、ある意味恵まれている環境にありました。

 

僕、友達のフィリピン人から

「全てのフィリピン人を信じるな」って何度も忠告されています。

それも別々の友達から何度も言われました。

 

そして今回、マカオで会ったマニラ出身のマークからも言われました。

 

この時気付いたんですね。

フィリピン人がインフォメーションではなくパーソナリティを見れる理由。

 

それってパーソナリティを見ざるをえない環境で生まれ育ったからです。

日本じゃ考えられないですが、フィリピンって少なくとも日本よりは

盗難や暴行の被害が多いわけです。

僕もシヌルグという祭りで踊っていたら所持品丸ごと引ったくられました。

 

だから、知らない人に対面した時に「この人は安全か?」を見ざるを得ないわけですね。

 

日本人って、同じ日本人だったら妙に安心しちゃうじゃないですか。

それこそ、目の前の人がいきなり暴行してくるとかってまず考えないじゃないですか。

日本人=安全っていう図式が何の疑いなく脳内で成立しちゃってますよね。

 

でも、フィリピン人はそうじゃないんです。

無条件にフィリピン人=安全という方程式でフィリピン人と接していたら

犯罪の被害に合う可能性がグッと増える。

だから、人種や国籍からもう少しブレイクダウンした、個人を見ざるを得ないんですね。

 

日本人の場合、

普段から、表面上のインフォメーションを確かめるだけで生活できるから、

人付き合いについてもインフォメーションでコミュニケーションをしてしまう。

 

フィリピン人の場合、

自らの危険を避けるためにパーソナリティを見ざるをえないから

人付き合いもインフォメーションの先のパーソナリティを見ざるをえない。

 

それ故、フィリピン人はパーソナルティを見て接する人が多いんです。

 

だからね、どっちが良い悪いではなくて、あくまで環境の差でしかないわけです。

だからたまたま環境がそうなっているだけであって、フィリピン人が偉いとか日本人が偉いとかもないわけです。

 

本来は、インフォメーション信仰でもパーソナリティ信仰でもどっちにも良さがあるわけです。

日本だって、インフォメーション信仰でここまでの富国になったわけですし、一概には否定出来ないんですよね。

 

ただ、僕個人の意見としては、今の時代は明らかにパーソナリティ信仰の方がいいと思うし、

僕はこっちのほうが「幸せになれそうかも」って感じる。ただそれだけです。

 

近い将来、国籍も人種も言語も今ほど重要ではなくなる

 

誤解してほしくないのは、”フィリピン人”が純粋に凄いんじゃなくて

環境がそうさせているという部分もあるということです。

そしてたまたま、時代が追い風になっているんです。

 

反対に、”日本人”が劣ってるんじゃなくて

環境が今の日本人を作り上げ、そして時代が逆風なのです。

 

だって、このブログで言い続けているように

人間、みんな平等なんです。

それは、日本国民の中だけじゃなくて、世界中の人類すべて平等なんです。

 

今でこそ、日本人とかフィリピン人とか

人間を国籍や人種で区別するようなことが起こりますが、

10年後か15年後あたりには、もう国籍も人種も訳がわからなくなってくると思います。

 

言わば、単なる出生地でしかなくなる気がします。

 

 

今回僕をホストしてくれたポトポトは生まれこそフィリピンですが、

マレーシアにも2年住んでいたらしく、今はマカオ(中国)で仕事をしている。

そして次は日本かカナダで仕事をするべく、仕事を探しているとのこと。

 

ジョンと同じく、マークとジェロもフィリピンはマニラ出身で今はマカオで働いています。

ジェロは、仕事で必要だからと広東語も勉強中。

 

他にもカラという女性に会ったのですが(ピースしている女性)

カラはマレーシア出身で

すぐに中国に引っ越したらしく、広東語が一番得意ですが、マレー語も英語もペラペラ。

今やっている仕事は辞めて、香港で船上アナウンスの仕事をするらしいです。

 

なんかもう、めちゃくちゃじゃないですか?笑

 

フィリピン人だからってフィリピンで働きタガログ語を喋るわけじゃないんです。

 

人生を楽しみたければ一度、インフォメーションを忘れて人と接してみる

 

「はいはい、フィリピン人が凄いのはわかりましたよ。でもこちとら日本人だしどうせいっちゅーねん」

 

はい。

そのモヤモヤ感を解消するために、僕が提案したい方法がこちらです。

 

「インフォメーションを取っ払ってその人と接してみる」

 

 

具体的にどういうことかと言いますと、

誰かと対面する時に、以下のように風に考えて接してみて下さい。

 

「この人が今の職位を外れたら1人の人間として付き合いたいか?」

「この人のなんたら賞の受賞履歴が外れたら1人の人間として付き合いたいか?」

「例えばこの人脈おじさんが単なる老人になっても変わらず付き合えるか?」

「フィリピン人とか関係なく、1人の人間として付き合いたいか?」

 

こんな感じです。

 

これを実践すれば少なくとも今よりは人間関係の悩みは減ります。

だって、自分が付き合うべき人、付き合わない方が良い人がはっきりするわけですから。

 

結果、当然ですが、人生が楽しくなりますよ。

さっくりと終わりましたが、これがタイトルの人生をもっと楽しむ方法の1つなんです。

 

でも、これを実行するためには前提条件の書き換えが必要なので、

もう少し付き合ってもらえると嬉しいです。

 

 

 

続けますね。

僕たち日本人は特に、インフォメーションでその人を判断するような環境に居ます。

それ故、何やら生き辛さを感じて生きている人が多いのです。

 

いいですか。

人間は本来、みんな平等なんです。

 

だから肩書とか受賞歴とか国籍・人種なんていうインフォメーションは、

“人類みな平等”という前提のもとに付随した情報でしか無く、

それによって優劣が決まるものでは決して無いのです。

 

ただ、今は悲しいかなインフォメーションによって優劣が決まっている世の中になってしまっているだけです。

 

 

あなたはどういう未来に向かって歩みたいの?

 

ただし、インフォメーションによって人間の優劣が決まるのを

おかしいと捉えるか、肯定するかは完全にあなたの自由です。

 

インフォメーション信仰で生きたきゃ生きればいいし、

パーソナリティ信仰で生きたきゃ生きればいいんです。

 

ただし、決めたら決めたで責任をもって行動してください。

インフォメーション信仰で行くと決めたらなら必死でインフォメーションを取りに行くべきです。

決して「学歴やお金が全てじゃないよ」とか変な良心を持ってきてそれに逃げないで下さい。

それは卑怯というやつです。

 

反対にパーソナリティ信仰で行くと決めたなら「お金」や「学歴」を言い訳にしてはいけないのです。

お金や学歴がなくたって、それらのインフォメーションは自分のパーソナリティを決定するものではないのですから、なんだってできるんです。

 

 

「でも、そんなこと言ったって上手くいく保証なんてあるの?」

 

こう言いたくなる気持ちもわかります。

断言します。

 

上手くいく保証なんてどこにもありません!

未来なんて予測できるものじゃないんです。

 

未来は、人間の思いの総意で作られていくんです。

 

これは多数決ではなく、エネルギーの強さです。

例え、少数でもそのエネルギーが大数に勝れば、その未来は実現できます。

 

例えば、チェ・ゲバラが革命を起したように。

ヒトラーが圧倒的少数からファシズムを作り上げたように。

ジミヘンがラブアンドピースの蔓延させたように。

 

 

だから、大事なのは未来を予測して上手く動こうとすることではなく、

自分の望む未来に向かってエネルギーを注ぎ、

そして自分の望む未来を創り上げるエネルギーの一旦となることなんです。

 

“未来”→”今”じゃないんです。“今”→”未来”なんです。

 

 

パーソナリティ信仰でこそフェアな人間関係が築ける

さて、先ほどカラという女性を紹介しました。

このBBQの後、二次会に行く予定だったのですが、

「○○嫌い。会いたくないから行かない。」

と言い放って来なかったんですね。

 

僕はカラのこの発言に、とてもフェアな人間関係を感じました。

 

周りの友達だって、それに特別反応することもなく

何の波風も立たたず、楽しい雰囲気のまま二次会に突入し朝6時まで飲み明かしました

 

これこそ平等だよな!ってホントに思いました。

 

「全員に好かれるなんて無理」

 

これは皆さん聞いたことがあるし、そういう風に心がけて行動してると思うのですが、

やっぱりどこかで中途半端に終わって悩んでいる気がします。

 

その中途半端さを生むのって、実は保証が欲しいからなんですよね。

 

「この人と繋がっていればどこかで助けてくれるかも」

「この人と繋がっていればどこかで役に立つかも」

「全く関係を断つことはないよね?」

 

この中途半端な姿勢こそが悩みを生み人生を楽しめない原因になっているんです。

 

本来、好きになるも嫌いになるも自由なんですよ。

で、人間は時が経つと当然変わるんですから、

嫌いと言い放った人が好きに変わってもいいじゃないですか。

変にそこに責任持つ必要はないと思います。

 

だって僕達が生きてるのは、過去でも、未来でもなく、今なんですから。

 

「今を生きている」という前提さえ共有できていれば

その時期によって好き嫌いが変わるのは当然だし、

これこそ僕が実現したい人間関係の未来でもあるわけです。

 

  • 好き=相手にはこちらを嫌う権利がある。こちらの好きに応対する義務はない。
  • 嫌い=相手にも当然こちらを嫌う権利がある。
  • どっちでもいい=好かれようが嫌われようが無関心

 

これぐらいの価値観で好き嫌いが共有できる未来が実現できればと思っております。

要は、相手の反応は自分の感情の決定に影響を及ぼすものではないんです。

 

自分が好きなら、相手に嫌われようが好きのままででいいし、

嫌いなら嫌われようが好かれようが、嫌いでいいと思うのです。

 

これは相手にどんなインフォメーションが付随していようが一緒です。

部長だろうが、社長だろうが、先生だろうが、親だろうが、子供だろうが、

 

「好きなら好き」

「嫌いなら嫌い」

 

これこそがフェアな人間関係だと思います。

この前提が皆で共有できた時、フェアな人間関係が在る未来が訪れると思うのです。

 

そしてそれは、今よりも、もっと人生が楽しめる未来です。

そう信じて僕は未来にエネルギーを注ぎ続けています。

 

編集後記:日本がどんどん割りを食い始めている

 

 

今回、マカオに滞在して思ったのは、「マカオ、物価超高い!」です。

 

写真は香港空港で飲んだアイスコーヒーですが、なんと一杯1,063円です…

正直言って味はセブンの100円コーヒーのほうが10倍美味しいです。

 

そしてポルトガル料理も食べたのですが、

なんと男三人お酒無しで1万円を超えました…

 

 

はっきり行ってコスパは日本のほうが圧倒的に良いです。

絶対に日本のほうが美味しいし安いし接客だって良いです。

 

これって日本が明らかに割を食ってるんですよね…

 

(多分)海外の人より高サービスで長時間、働いているのに、

海外に行ったら高くてマズイものを食べなきゃいけないんですよ(笑)

反対に、海外の人は、日本に来たら、安くて美味くてサービスも良いっていう…

 

んーーーこんなの何か嫌ですよね。

 

でも、世界は明らかにこの流れになっていっている気がします。

日本自体は別に貧乏でもないですが、世界基準で考えると相対的に貧乏になっていっている。

これはひしひしと感じます。

 

 

たかが数回海外に行ったぐらいで何をわかった気になってるんだって、

鼻につくかもしれませんが、でも僕が肌で感じた切実な思いでもあるわけです。

 

ただね。

皆さんも何となく「変わらないといけないのかな?」という思いは持っていると思っています。

 

少なくとも僕と同じぐらいの年代であれば

グローバル化の波を無視して人生を全うするのは厳しいだろうなと感じているはずと願っています。

だから「英語って喋れた方がいいのかな?」って皆漠然と思っているわけです。

 

ただし、僕には「今こそ変わるべきですよ!」なんて僕の意見を押し付ける権利はありません。

この記事を、どのように受け止め解釈するかはすべて貴方の思い1つです。

僕には受け止め方を矯正する権利なんて微塵もないわけです。

 

ただし、僕が唯一できることと言えば、

どういう受け止め方であれ、

あなたが少しでも幸せになるよう受け止めてくれたことを願うのみ、なのです。

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