婚約解消して3ヶ月半経って思う7つのこと

心を整える

こんばんは!佐伯です(^_^)

 

写真は昨日撮影できたびわ湖の日の出です。

あんまり住む所にこだわりはないし固定する理由も今のところないので、いずれ引っ越すと思いますが

そうなると、ベランダから見るびわ湖の景色だけはホントに名残惜しいです。

 

さて、今回は滋賀県に引っ越してくる理由でもあった彼女と

「婚約解消して3ヶ月半経って改めて思うこと」について書いてみようと思います。

 

そういえば別れ話の時に、

「婚約はプロポーズされてから決めるつもりだった。」って言われたのを思い出しましたw

なので、婚約は僕の妄想の可能性がありますので、事実関係は高い高い棚に上げて書かせてもらいますね笑

 

やっぱり寂しい

 

生活の中心にあったものがぽっかり抜けたわけですからやっぱり寂しいです。

まぁこの”彼女が生活の中心”とか考えてたことが勘違いすぎてフラれた原因でもあるので、

自分を戒めるための時間だとも思います。

 

結婚しようと決めていた彼女と言えども所詮は他人です。

よくよく考えると、

自分という存在を蔑ろにして、他人が生活の中心なんてそんなわけないのです。

 

結局、彼女に期待を寄せすぎていたんだと思います。

あくまで人間皆平等。

彼女が僕を幸せにしてくれるわけないし、僕が彼女を幸せにできるわけもないんです。

 

冷たい言い方になりますが、お互いの利害が一致しているから一緒にいる。

一致しなくなったから離れる。

お互いの人生があるのだから、あくまで自分の人生が一番大切なわけで、

ここには、愛情とか思いやりとか、変な良心を持ってくるべきじゃないと思います。

 

あくまで一人ひとり個々に独立した存在であり、

まずは個としての存在が最も優先されるべきです。

 

もし愛情とか思いやりとか言いたいのであれば、自分を一切捨てる覚悟で、

「相手のために尽くすことこそが自分の人生をかけてやりたいことだ。」

と、言い切れる覚悟がないとダメだと思います。

 

そこに一ミリでも「自分の苦労もわかってほしい」とかいう気持ちが出たらそこで終わりです。

その極小のヒビが原因で愛情らしきものは一気に崩壊することは目に見えています。

 

世間の価値観なんて所詮そんなもん

 

彼女に恥をかかせないよう誰に見せても恥ずかしくない理想の旦那さんになるべく頑張っていました。

 

  • 30手前で結婚。
  • 収入は平均よりちょい上
  • 風俗・キャバクラ・酒・ギャンブル一切なし
  • 身体も絞れている
  • 料理や家事もする
  • 何より彼女を一番大切に想う

 

こんな世間一般で言われる理想の旦那さんを目指して頑張っていました。

まぁルックスといつ終わるかわからない仕事(自営業)は棚に上げておきますが…(^_^;)

でも、自営業な分、時間は自由に調整できたんですよ。

 

これ個人的には95点はイケてたと思うんですけど、結局フラレちゃいました。

 

でもね、フラれた瞬間、凄い自由になったというか。

「あー!俺なんでもできるじゃん!!」って解き放たれた感じになったんです。

だから、今こうやって顔出しモロ出しでブログなんかもできるわけで。

 

世間の価値観に合わせて頑張るのを辞めて、3ヶ月半経ってみて、

世間の価値観なんて「所詮そんなもん」だって気付きました。

 

 

30手前で結婚して、収入はそこそこ良くて、浮気もしなくて…

何ていうのは、どこかの誰かの1つの価値観でしか無くて、あくあで自分の価値観と対等なんです。

 

だからね、周りの友達全員が、「浮気なんか絶対ダメだよね」って言ってたとしても

自分が「別に浮気してもいいじゃん」って思うなら、

まずは同じ土俵の上で、ハンデ無しに戦わせなきゃいけないんです。

 

で、戦わせた上で、自分で結論を出すんです。

 

「これが常識だよね」とか言って、戦うことから逃げちゃだめだし

戦うことから逃げて世間の常識を無抵抗で受け入れてしまっては

結局自分が悲しむハメになるんです。

 

だって、世間の常識なんて、「所詮そんなもん」なんですから。

 

お先真っ暗だろうが人生を楽しむしか無いと思えてきた

 

今まで答えらしく思っていた、世間の価値観が、

実は答えではないと気付いてある意味お先真っ暗になりました。

 

ただし、真っ暗だからと言って、悪いものとは限らないわけです。

 

あくまで見えていないだけで、手にとってよく確かめれば

それは自分にとってかけがえのないものであるかもしれないのです。

 

そもそも、世間の常識という”見えていた答え”ですら、僕にとっては光ではなかったわけで。

今では、光と偽った闇の方がよっぽど性質が悪く思えます。

 

ただし、

闇に見える光だろうが、光に見える闇だろうが

手にとって触って確かめてみないとその実態はわからないわけです。

 

だから結局のところ、どういう姿勢でそれを確かめに行くのかしか無いと気付きました。

僕はどうせなら楽しみたいので、楽しみながら確かめて行こうと決めた次第です。

 

もちろん悲観的に確かめに行くという選択もありますし、

欺かれたり裏切られたりするのが嫌だからそもそも確かめに行かないといく選択もあります。

 

ただ僕は、前に進みたいし、どうせなら楽しみながら、ってだけです。

選択で良し悪しは、僕の中で完結しています。

 

先日、プロ雀士・桜井章一さんの本を読んでいたらこんな言葉がありました。

予測がつくことに賭けるのはただのギャンブラーである。

桜井 章一. 群れない生き方 (SB文庫)

 

確かにこれは言い得て妙で、そしてなんか救われた気がしました。

*予想がつくことに賭けて、予想が外れた時、いよいよどうしようもなくなるからです。

 

結婚できないならできないで、「結婚できない最高の人生だったんだ」と思えるようになった

 

僕は今、人生を無抵抗で楽しんでいます。

彼女と付き合って居たときのように、

自分を”理想の彼氏”の枠に当てはめようと、自分に無理している感じはしません。

 

この感じがずっと続けばいいのになと思っています。

 

むしろこれを曲げて、

「30までには結婚や。よし婚活頑張ろう」と焦ったほうがかえって不幸になる気がします。

結婚はしたいし、子供も欲しいですが、

そのために婚活だ、と今の気持ちを犠牲にして行動するほどの思いを自分から感じません。

 

何より、結果を前提にした出会いは相手に良くみてもらおうと、見栄を生むことを勉強しました。

それこそ、予測がつくことに賭けるギャンブラーのようになってしまい、外れた時に身動きがとれなくなってしまうのです。

 

予測をつけてそれに向かう人生もいいですが、

それはそれで、良いことが起こる流れですら予測の枠内に無理やり戻してしまう危険もあるんです。

 

今のように、自分の心が求めている事を積み重ねる日々を送った結果、

結婚できなかったのだとしたら

「僕の幸せな人生には結婚は無かったんだな」と納得して死ねると思います。

 

これは決して「今が楽しければ良い」でも「浮ついた気持ち」でもありません。

自分の心が求めていることを全て自己責任で実行し続けないといけないのです。

予測した人生を予測通り歩むぐらい覚悟が必要です。

 

「目に見えないもの」を信じる勇気を持ち続けたい

 

資格とか肩書とか、「相手に付随している情報」で人間が判断される世の中だと思います。

○○コンサルタントとか××トレーナーとか名乗る人が多くなったのも、

結局はそう名乗らないと世間に相手をしてもらえない生きづらさ故の選択を感じます。

 

でも、この情報信仰こそが個人を不幸に陥れているのじゃないかと思い始めました。

僕自身、独立して自由そうに振る舞いつつも、この情報信仰の奴隷でした。

 

前述した彼女のために頑張った以下の事項だって、

結局は世間一般の情報信仰に照らし合わせて得点の高い情報をチョイスしているだけでした。

 

  • 30手前で結婚。
  • 収入は平均よりちょい上
  • 風俗・キャバクラ・酒・ギャンブル一切なし
  • 身体も絞れている
  • 料理や家事もする
  • 何より彼女を一番大切に想う

 

今、彼女と別れてみて思うのは、

このような行動をするにせよ一度”自分を通して”判断を出す必要があると思います。

要は、半ば強制的に「自己責任で決めた」状態にしないといけないということです。

 

世間様が高く評価してくれている得点の高い情報を選び

自分に被せるようにして自分を作り上げてしまっては、

いくら結果を出そうが、

“世間様が高く評価する情報というベール”を何重にも纏った何もない自分が出来上がります。

 

今の世の中は、

どうもその情報ベールの丈夫さや綺麗さ、数で勝負するのが正しいと

無条件に受け入れてしまっている人が多いと感じます。

 

婚活パーティーとか、まさにその極みだと思います。

年齡とか、容姿とか、趣味とか、収入とか、職業医者のみとか、情報でその人を判断して

「その選択が、幸せな人生を歩めるか?」という一番大切なことはおざなりになっています。

 

“収入とか職業とか、その人に付随した情報を信じれば幸せになれる”

こういった誰かにとっての幸せを

自分を通して考えることなく、妄信的に信じているだけの気がします。

 

そもそも、その情報は変化します。

当たり前ですが永遠に20代の人はいないわけで。

同じように職業や年収も永遠に保証されているものではないのです。

 

 

自分という個体は、他の人間と形こそ一緒であれ、中身は一人ひとり違っています。

世間が作ったベール(価値観)はもしかすると自分のために作られたものではないかもしれません。

 

もし世間の価値観が自分に合っていないとしたら…

世間の価値観を纏って生きようとすることは、自分にとって最も苦行であるかもしれないんです。

 

僕みたいにアトピー肌の人が、ウール100%のチクチクセーターを素肌に着ると

全く快適でないどころか、無理をして着続けるとアトピーが再発してしまいます。

 

でも、僕がやってたのってまさに

「アトピー肌なのに無理してウール100%のセーターを着続ける。

それどころか何枚も重ね着しようと頑張る」

だったんですね。そりゃ辛いですよね。

 

思えば小学校高学年辺りから、

テストの点数とか、学校名とか、就職先とか肩書とか、収入とか

“世間の価値観に基づいた情報”で自分を定義しようと頑張っていたように思います。

 

確かにこういう目に見えることで結果を出せば

周りは「凄いね」と言って評価してくれますが、

実はそれって、僕個人というかその情報に対しての賞賛だっただな、と気づきました。

 

世間の価値観をベールに纏いながら、

人付き合いをした時は、全くうまく行きませんでした。

 

「東京にあるNTTデータのグループ会社で正社員として働いている」

「自分で会社を興して代表取締役になって月収100万超えた」

「月に一回は必ず海外旅行に行ってる。カードの付帯特典でラウンジも使える」

 

こんな風な、何だかすごそうな情報を自分の価値として脳内設定。

特に20歳を超えたあたりからはこればかりだったので、ほとんど友達を失いました。

 

僕が特別、優秀なわけでもなければ、

こんなんで「凄い!」って言ってくれるほど僕の友達はバカじゃなかったんですね。

むしろ自分を偽ろうと躍起な事を見透かされていたから、友達も離れて行ったんだと思います。

 

そして、前付き合っていた彼女もそうでした。

女性は特に直感が鋭いので、

どんなに良い情報で自分を塗り固めても「何か違うな」って気付いちゃうんですね。

 

だから、彼女は直感が相当優れているんだと思います。

僕のハリボテの価値を見抜いて、婚約を反故して僕と別れることができたわけですからね。

 

そこに迷いがあったら、「こいつ空っぽだな」って気付くのがどんどん遅くなるわけです。

もしかしたら結婚した後に気付いたかもしれないし、

もしかしたら子供が何人か生まれたあたりかもしれないし

もしかしたらお互い老人になってからかもしれない。

 

僕の豪華絢爛なハリボテを、プロポーズすらさせることなく気づけたのですから

彼女は女性の中でも特に直感が鋭い女性だと思います。

今では全く連絡をとっていませんが、直感に従い幸せに暮らしていることを願うばかりです。

 

前置きが長くなりましたが、

今回の経験で「目に見えるもの」なんて、ハリボテでしかないと気づかせてもらいました。

だから、今後は「目に見えないもの」を信じて生きたいと思います。

 

確かに、学歴や資格、肩書を手に入れれば、ダイレクトに周りが賞賛してくれるので

何だか認められた気がするし、誇らしい気持ちになります。

 

でも、その集大成を持ってしても自分が一番望んでいた物を手に入れられなかったのですから

軌道修正する必要はあるよな、と思います。

 

「目に見えないもの」を信じて生きるのは怖いです。

そして現状は「目に見えないものを信じた末の目に見える結果」が出ていません。

 

だから、今、僕にできることは、

「きっと大丈夫」という気持ちを持ち続け、勇気を持って行動できる人間だと、

自分を信じて行動することだけです。

 

 

笑顔でさえいればどうにかなる

 

さて、彼女との別れ話の中で言われたあることを思い出しました。

 

彼女「素顔は(*ブサイク)。腕組んでると威圧的でなんか怖い。笑顔のほうが絶対いいよ。」

*=言いかけて止める。けど、口の動きからするに多分この言葉。

 

最後の言葉は、枯れ果ててしまいそうな僕への好意の中から必死で絞り出した彼女からの最後の愛情だと思います。

まぁ別れ話なので言葉は悪いですが、でもこれってホント真理だよなと思います。

 

どんな時も、笑顔でいれることこそ人生を幸せに生きる秘訣だと思います。

 

そういや、僕が楽しいな、と感じる時って、僕が一番楽しんでいるときでした。

そして、僕の感情につられて周りの感情も決定される、そんな気さえします。

 

例えば、彼女との別れ話でも、

「婚約を約束してた彼女にエイプリルフールにフラレたんすよー!しかもびっくりドンキーで(爆)www」

って笑顔で笑いながら伝えたら

大体の人が「マジかwww」って反応で、そのまま笑い話として話が進みます。

 

でも、反対に

「婚約を約束してた彼女にプロポーズ一ヶ月前にフラれました…(T_T)」ってテンションで

俯きながら話したら、「大丈夫?」とか「辛いよね。話し聞くよ」みたいな、お通夜空間がたちまち創生されます。

 

まだまだ人生を語れるほど経験は積んでいませんが、

でも、拙い経験の中でも間違いなく真理の1つだろうなと思うのが「笑顔」である、と。

これはもう決定しました。

 

だから、どんなに辛くても悲しくても、

その経験を笑顔で捉えられるよう強く生きようと思います。

 

ブラマヨの吉田さんとか、ノンスタイルの井上さんとか

コンプレックスを笑いに変えられる人は、

他人には想像できない、安易に理解しちゃいけない覚悟の元だと気付きました。

それでいて「目に見える結果」を残しているのは、ただただ凄いの一言です。

 

何事も全力でやったほうが楽しい

 

はっきり言って、彼女にフラれるまで

「何事も全力で」なんて言葉はクソ綺麗事だと思ってたんですが、

彼女にフッてもらってこの言葉の意味を真に実感することができました。

 

そりゃ結果は思わしくなかったけど、彼女と付き合っていた期間は、

今振り返っても自分にとっては過去最高に幸せでした。

 

それはやっぱり自分が全力だっただからに他なりません。

 

反省こそあれ、後悔はありません。

自分を大きく成長させてくれたとても良い経験になりました。

 

「結果じゃなくプロセスが大事」とも言いますが、

プロセスを全力で歩めば、たとえ世間の常識から言えば最悪の結果であっても、

自分にとっては最高の形で返ってくるんだなとわかりました。

 

だからこれからも”全力で”自分と、自分の可能性を信じてあげる人生を歩みたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました