アマゾンアカウント閉鎖から学ぶ”便利で整備されたシステムは、人間すらもシステムにする”ということ

こんばんは!佐伯です(^_^)

 

さて、知ってる人も知らない人も含め、言っておきますと、僕が日々自由に色んな事を経験できているのは、アマゾンで輸入品を販売(転売)しているからです。

そして本日、その自由の源であるアマゾンのアカウントが閉鎖になりました。

 

よくわからない人のために補足しておくと、「お前、もう会社来なくていいよ」っていうアマゾンからの一方的なクビ宣告です(笑)

アマゾンは売上に対して10~15%ほどの手数料を要求します。

僕はその手数料を4年間払い続けてきたのに、一方的にクビ宣告されました。もちろん退職金もありません。

 

でも、「ついにきたかー」って感じで、それほどショックでない自分が居ます。

何故なら、いつか絶対に来るってのはわかっていたし、そうなって欲しいと願っている部分もあったからです。

 

今回はこのことについて記事にしますね。

 

 

「でも、よっしー、アマゾンの社員やん」

 

今でこそ下火になりましたが、僕がアマゾン転売ビジネスを始めた時は、もっと活気がありました。

アメリカやヨーロッパのアマゾンから商品を買って、それらを日本のアマゾンで販売するだけで数千円の利益が簡単に得られました。

そしてある程度稼げるようになると、単なる一介のサラリーマンだった人が自分の会社を興し代表取締役社長という肩書を手に入れるわけです。

 

僕はその頃は、「勤めてお金を得る」ということしか知らなかったので、自分でお金が稼げるということに凄く興奮したのを覚えています。

だって、通勤しなくても嫌な人間の言うことを聞かなくても、ただネットで物を買って横流しするだけでお金が得られる上、法的に正式に”社長”となるんですもん。

それはそれは、何か巨大な力を手に入れたようで無敵感すらありました。

 

そして、その無敵感からかものすごい勘違いをしてしまっていました。

「俺は、これぐらいの労働時間でこんなにもお金を稼いでる。だからサラリーマンより偉い」と。

今では絶対にタブーだと確信しているお金や肩書で人間を判断してしまっていました。

 

で、そんな風に調子に乗ってた時にネットビジネス繋がりで出会った、今でも唯一親しい人(以下、Kさん)に言われた言葉があります。

 

 

「でも、よっしーアマゾンの社員やん」 (※よっしー=僕です)

 

って。

 

言われた当初は何を言ってるかわからねーとポルナレフ状態でした。

だって、少ない労働時間で大きなお金を得ている自分はきっと正しいのだと信じていましたもん。

 

でも、自分のほうが正しいと信じつつも、何だかこの言葉がずっと心に残っていたんですよね。

だからこそ、今回この記事を書くに至ったわけです。

僕は本当にこの人と出会えて運が良かったと思います。

 

 

何故、僕はアマゾンの社員だったのか?

 

アマゾンアカウントの閉鎖を心から覚悟(別に僕の人生に大した影響を与えることじゃない)できて、Kさんに言われたことが腑に落ちました。

 

僕は社長という肩書でビジネスを行いつつも、結局はアマゾンの社員にしか過ぎになかったわけです。

むしろ、社員どころかアマゾンからしたらどうでもいい存在だったんだと思います。

 

結局は、自力で社長まで成り上がったというのは幻想で、アマゾンに食わしてもらっていただけだったんですね。

 

アマゾンあってこその稼ぎと肩書だったんです。

だからこそ、Kさんは「アマゾンの社員」と言ったんですね。

 

そしてそれがあまりにも核心を突きすぎていて自尊心で満たされていた僕の心にすら突き刺さったわけです。

 

 

システムの奴隷という視点

 

インターネットのおかげで、アマゾンに限らず凄く便利なシステムで溢れかえっていますよね。

食べログやairbnbなんかいい例ですね。

そしてグーグルなんかはシステムという枠を超え今や社会インフラと言ってもいいぐらいの聖域に存在しますよね。

 

社会インフラと聞いて最初に思い浮かぶのが、電気や水道ですよね。

 

さて、ここで1つお伺いしたいのですが、「なぜ電気や水道をお金を出して買わないといけないのか」考えたことがありますでしょうか?

 

 

昔は、電気なんて無くて、また水は自然の恵みなので当然、無料だったわけです。

でも、それが今や払って当たり前という認識ですよね。

 

しかし、エネルギー会社が株式会社として存在する以上、あれも1つのビジネスであり当然利益を上げるために存在しているんですね。

 

ビジネスという世界において、提供者と消費者が対等な関係を保つためには「お金を払うor払わない」という自由が必要です。

ただし、社会インフラの上では、「払うor払わない」ではなく「払う」ことが前提になってしまいます。

そのため、最初から提供者と消費者の間に対等な関係は無く、どちらかといえば提供者のほうが有利です。

 

そして、このシステムが成熟すればするほど、複雑になっていき、僕達はだんだんと窮屈な思いを抱えるようになります。

でも、生きるためにはそこに居なければいけない(と思い込まされている)ため、従わざるを得ず、言わばシステムの奴隷のようになってしまいます。

 

 

自由に価値観を選ぶ権利を、対等な関係を取り戻せ。

 

食べログやairbnbってすごく便利ですよね。

利用するのも簡単ですしね。

 

でも、店側からしたらたまったもんじゃないですよ。

どの客が来ても「食べログに変なこと書かれるのでは?」といちいち怯えないといけないし、airbnbだってレビューに一喜一憂するわけです。

 

最近だとYouTuberって仕事も出てきましたがYouTuberだって自由なように見えてYouTubeに首根っこ掴まれています。

いくら頑張って動画を撮りためてファンを増やした所で、YouTubeが「お前もう明日からYouTube投稿禁止ね」って言えば終わりますからね。

 

そして、アマゾン販売も同様です。

どんな理不尽な返品でも断ったらいけないし、休日関係なくお客さんには24時間以内の返答が義務付けられていて、出荷の遅延も禁止と。

そしてこれをアカウント健全性とかいうページで、すべて数値化され監視されています。

 

で、この数値を律儀に守っても、今回のようにすんなりとアカウント閉鎖(クビ)になっちゃうわけです。

 

 

今回の投稿は決して逆恨みというわけではなく、こういう現状について考えるきっかけになればなと思って書かせてもらっています。

だから今の時点で読むのは止めないでほしいです。

 

今って、アマゾンや食べログやairbnb、youtubeやグーグルなどインターネットを利用した便利なサービスが本当にたくさんありますよね。

あとクラウドワークスやランサーズなんかもそうですね。

 

それらは決まって、表面は「新しい働き方を提供する」など社会的意義のあることを掲げています。

もちろん僕もそのおかげで色々な体験をできるお金と時間を手に入れたので、十分に恩恵を受けているわけです。

 

しかし、そんな今でも、やはりKさんの「よっしーアマゾンの社員やん」が一番核心をついていると思います。

 

上記のいずれのサービスにしてもそうですが、決してボランティアでやっているわけではありません。

株式会社として”利益を出すことを第一”にビジネスを行っているわけです。

 

結局はシステムの中で理不尽な思いを抱えながらいくら頑張っても、最終的に一番美味しい思いをするのは提供者側なわけです。

 

インターネットでビジネスをやっている、と言えば、自由の象徴のように思われることもあるかもしれません。

でも、結局は、アマゾンなりYouTubeなりランサーズなり、営利目的のシステムを利用している以上、本質的には会社員と変わらないんですね。

その上、提供者側は何の保証もしなくていいし、コイツいらないなって思ったら遠慮なく切り捨ててもいいわけです。

 

 

そして本質的には会社員と変わらないという現状以上に、一度考えていただきたいことがあります。

そのシステムのルールが絶対正義だと思い、自分の人生の自由までそれに囚われてしまうことです。

 

例えばアマゾンで販売する場合ですよ。

お客さんの問い合わせに対して24時間以内に返信って必要ですか?

商品は迅速に届けるべきですか?

どんな理不尽な返品理由であっても応じなければいけない理由は何なのでしょうか?

 

いつから僕達の人生ってこんなに窮屈なものになったんでしょう?

本来はもっと自由なはずですよね。

 

返信は早いほうが良い

商品が届くのは早いほうが良い

アフターケアがしっかりしていたほうが良い

 

ホントに“良い”ですか?

その選択をすることで犠牲にしているものがたくさんあるんじゃないですか?

人間がラクに生きるために開発した物が人間を苦しませていませんか?

 

僕たちはもっと本来は自由で、対等だったはずです。

それを一つの価値観を押し付けられてその価値観が絶対正義のように扱うのは違いませんか?

 

別に返信が無くても良い

商品は早く届くに越したことはないけど、遅くても構わない

アフターケア(保証)はありませんよ

 

こういう価値観も、自由にそして対等に存在していいのではないでしょうか?

 

でも、提供者側のシステムの上で働いているとこの自由すら奪われてしまうんです。

 

というか考える余地すら与えられない。

「ここではこういうルールだからこれに従ってね」って感じです。

 

ホントにこれでいいですか?

いつからあなた個人という人間はシステムの一部になったんでしょう?

 

便利なシステムがたくさん出てきますけど、その裏には利益をあげるという目的があるビジネスなんです。

ビジネスである以上、お金を介して「払うor払わない」の選択肢が存在しないとフェアじゃないんです。

 

アマゾンはアマゾンの都合で動いている

で、僕たち販売者もアマゾンの都合で動いている

これはフェアな関係でしょうか?

 

僕たちは本来もっと自由だったはずです。

平等に存在するべき価値観を再認識し、もっと自由に生きれるんです。

 

別に、商品が届くのが遅くてもいいじゃないですか。

別に、問い合わせに返信しなくてもいいじゃないですか。

アフターケアがなければ自分で直せばいいじゃないですか。

 

ラインを既読無視したっていいじゃないですか。

待ち合わせの時間に遅刻したっていいじゃないですか。

行きたくないから会社休んだっていいじゃないですか。

働かないという選択肢があったっていいじゃないですか。

 

お金があるのが偉いんじゃないでしょ

大層な肩書や実績があるのが凄いんじゃないでしょ

 

上手くできるのが凄いんじゃないでしょ

上手いも下手も単なる違いでしかなく対等で平等なはずでしょ

 

アマゾンだろうがグーグルだろうがYoutubeだろうが、単なる1つの価値観です。

早く配送して下さいね~、返信は24時間以内ですよ~、返品は基本受けてねってのも価値観の1つでしかないんです。

 

価値観同士は絶対に互いに平等にあるべきです。

システムのルールの上にいるとどうしても、システムのルールを無条件に受け入れてしまいがちですが、本来僕たちはもっと自由で拒否する権利だって同様に存在するんです。

 

 

「お客様が第一で緻密でハートフルなサービスを提供?その上、パフォーマンスを数値化して監視するだって?そんな価値観ファックだね

 

反対にアマゾンを蹴飛ばしてやりましょう。

蹴飛ばす蹴飛ばさないはあなたの選択ですが、僕たちは本来自分の意志で蹴飛ばせる自由さを持っているんです。

 

対等な関係を、自由に価値観を選ぶ権利を取り戻しましょう。

 

もちろん、アマゾンだけじゃないですよ。

あなたに押し付けられるあらゆる価値観を蹴飛ばせる自由さを、そして自分の価値観で生きる自由さを、本来あなたは持ってるんです。

 

 

まとめ:便利で整備されたシステムは人間すらもシステムにしてしまう

 

さて、勘の良い方はお気づきだと思いますが、便利で整備されたシステムの最たるものは「国家」ですよね。

そして国家ですらも決してボランティアで存在するわけではないんです。

日本の借金が何兆円突破しましたーとかニュースでよく言われるように、国家ですらも株式会社と同様に営利で動いている部分もあるわけです。

 

どうですか?

日本国家という便利で整備されたシステムの上で生きてる今は自由ですか?窮屈さや理不尽さを感じてはいませんか?

 

 

わかってますよ。

だからと言って、どうすることもできないのは。

 

でもね、思考の自由さだけは失わないでほしいんです。諦めないでほしいんです。

 

国民の三大義務なんて無いんです。

憲法だって単なる1つの価値観なんです。

 

どんな考えを持っていたって、どんなことをしていたって皆1人の人間として平等で対等なんです。

 

でも、この思考の自由さを手放した時、他人のシステムで生きるシステムの一部になっちゃいます。。。

これが「諦める」ということです。

 

確かに食べログやairbnbやアマゾンなどのインターネットのシステムはとても便利です。

きちんと整備されていて誰もが簡単に使えます。

でも、その裏では、レビューや評価やポリシー(ルール)と言ったシステムで人間の思考を縛り付けてしまいます。

 

そのルールが絶対正義のように当たり前に押し付けられ、従うことを強制され、そこには考える余地すらありません。

その結果、こちらが無抵抗にも関わらず、他者から評価され点数付けされ、しかもシステム側から高得点を取ることを半強制されるんです。

 

僕はこんな窮屈なシステムの上で生きるのはノーサンキューです。

でも、ノーサンキューは僕の価値観、僕の思考です。

 

あなたはどうですか?

 

思考で1つで世の中は変わらないですか?

でも、自由なシステムの上では、思考1つで世の中が変わるという価値観も平等に存在してるんですよ。

 

本当に終わりなのは、思考の自由さを放棄して諦めることだけです。

 

きっと社会は変わりませんよ。

でも、思考の自由さだけは失わないでおきましょうよ。

何も変わらないし何も起こらないかもしれないけど、思考の自由さこそ人間だ!って感じしませんか?

 

 

「世の中そんなに甘くないよ」

 

それがあなたの自由な思考ゆえの覚悟ある決断ですかー?

それならそれでいいですが僕からしたら、その価値観だけはファックですわ。

だって諦めてるもん。

 

 

今回の記事はここまでです。

今回も読んでいただきましてありがとうございました!

 

 

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