映画8mileから学ぶ人生の真理5つ

こんにちは、佐伯です(^_^)

 

先日、Netflixがオフラインでも観れることを知り、移動中は、英語の勉強も兼ねて洋画を観ています。

んで、その一環として8mileを観たんですが、これが凄い良かった!

 

単なるエミネムヨイショの映画かと思ってたら、かっこいい人間達の生き様が緻密に描かれた映画でした。

 

ということで、今回の記事は8mileから学んだ人生の真理について書いてみようと思います。

 

 

1.人を殺してはいけない

 

人種差別、暴力、放火、ペイントガンでパトカーを射撃、友人の彼女を寝取る

作中ではあらゆる悪事(とされていること)が容認されているように描かれていますが、これら悪事が起こる中で一つだけ一気に空気が変わるシーンがあります。

 

それが、「拳銃を出した時」です。

すなわち、どんな悪事を働こうが、人を殺すのだけは絶対NGという唯一のルールがそこにあります。

 

作品では主人公グループと敵対グループの2つのグループの対立が描かれています。

事あるごとに喧嘩しているのですが、誰かが拳銃を出した瞬間、両方のグループが一斉に冷静になって、喧嘩を止め、協力し合って拳銃を出したやつをなだめるシーンは、「人を殺してはいけない。でもそれ以外は自由に生きろ」というメッセージな気がして心が動かされます。

 

いや、もちろん差別も放火も暴力も良くないんですよ。

でも、「良くない」と決めたのは押し付けられた”制限”ではなく、自分で選んだ”選択”だということです。

差別も放火も暴力も、最初からやっていはいけないと制限されているわけではなく、やっても良い、やらなくても良いという選択肢から「やる」を選んだのです。

最初から「やってはいけないもの」と思考停止で無抵抗に受け入れているのとでは、天と地の差があります。

そして「やる」を選ぼうが、「やらない」を選ぼうが単なる選択の違いであって選択肢という考えの上ではどっちが良いも悪いもないのです。

 

本来、人間は99%自由な存在なんです。

1%の不自由は「人を殺してはいけない」という部分です。

これだけは最初から存在する制限で、無条件無抵抗に受け入れられなくてはならない唯一のルールです。

この1%の不自由を除いた99%の枠内であれば、自由に選択して自由に生きるのが人間本来の在り方なんです。

 

それが常識や教育やルールなど、価値観を矯正され無条件に枠を小さくされています。

「土日休み」「9-17時」「最低でも大卒」「正社員」「老後のために貯金」「30までに結婚」「女は30過ぎると出産出来ない」「一度失敗すると社会復帰できない」などなど。

 

そして、無抵抗にこれらを受け入れてしまっているせいで最初から30%ぐらいの枠で生きている人が多すぎるように思います。

 

 

2.嘘をついてはいけない

 

フリーラップって言葉は知ってたものの、今回ちゃんと向き合ったのは今回が初めてです。(映画だけど)

正直ラップってちょっと見下している部分がありましたけど、でも今回8mileを観て反対に、かっこいいと思うようになりました。

 

何がかっこよかったのかというと「嘘が無い」という点です。

 

そりゃ言葉は汚いし差別発言だろうが何でもありなんですけど、嘘が一切無いんですよね。

お互いの確かな事実関係の中で、自分の人生の全てをリリックに乗せてぶつけ合ってるんです。

 

表面は汚く写りますが、でも根底にある相手への敬意が認識できました。

心の底では、お互い認めあってるからこそ本気で殴り合える男の喧嘩のようでした。

 

作中では、嘘ラップをした人物は居ませんでしたが、多分リリックに嘘が混じっていたらめっちゃ白けるし、勝負には勝てないと思います。

相手が嘘をついてるかどうかって雰囲気というか感覚的に感じ取ることができますよね。

だから、嘘をついた瞬間見透かされるし、人生をぶつけ合う真剣勝負に水を差す事になるし、勝負には勝てないし良い事無いんですよ。

何より嘘をつくということは、唯一信じるべき自分の気持ちを裏切ったということです。

自分の人生との勝負に負けているから、その枝葉であるラップバトルにも当然勝てないということです。

 

嘘をつくってこれぐらい重大に良くない事なんですが、でも今や僕達が生きている社会って嘘が溢れかえっていますよね。

 

 

例えば、気遣いやマナーとかいう嘘。

そんな枠に囚われずに、自分がそう思ったなら言うなり行動するなりすればいい。

そんなことしたら社会で生きていけない?試したことあるの?嘘って見透かされるし、その言葉が出る時点でそもそも自分に嘘ついてるから。

 

でもこれって、言いたいことを言うや、やりたいことをやるのとは違うんですよね。

言ったなら、やったなら、外に出した時点で全責任を持つということなんですね。言い訳や弁解なんて言語道断です。

 

もちろん、やるのだって言うのだって怖いんですよ。

主人公のラビットだってあれだけの実力がありながら、トイレでイメトレして吐いた末、いざステージに上ったら一言も言葉が出なかったじゃないですか。

でも、その事に対して悩んだり苦しんだり自暴自棄になったりもしたけど、でも根底では自分の決断だと受け止められたからこそ、自分の経験としてリリックに乗せて相手にぶつけたじゃないですか。

混沌とした、誰にも真似出来ない、等身大の、自分だけの、”嘘のない”リリックだったからこそ威圧感があってエッヂが効いていて観客の全身を震わせたんじゃないですか。

観客だって皆わかってんですよ。だからこそ嘘は白けるけど、本音は響くわけです。

 

嘘の無い世界って怖いですけど、でもその世界って、嘘無く生きる同士達への敬意と優しさで溢れているような気がするんですね。

 

気遣いやマナーとかいう名の嘘をつき、そして自分にも嘘をつき続けていくのか。それとも…

 

 

3.子供の未来を潰してはいけない(子供を巻き込んではいけない)

 

作中ではリリイという主人公の歳の離れた妹が出ています。

クレイジーな登場人物の中でのの唯一無垢の存在です。

 

子供は巻き込んではいけないと言いつつ、作中では、主人公本人の喧嘩に2回も巻き込みます。

でも、あんだけ血の気の多い主人公が、リリイの前では極めて紳士なシーンを観ると、「巻き込みたくないけど巻き込んでしまった。でもその責任は全部自分が背負う」という覚悟が感じられます。

だからリリイの要求ならラップじゃない歌だって唄うし、リリイのために無抵抗に殴られたんです。

 

そして、妹に向けるこの温かい優しさこそが、主人公が本当に求めているものなのかな、と推測します。

 

多感な幼少期の強烈な体験は、その子の未来を左右しかねません。

暖かな優しさとは真逆の体験をさせてしまっている懺悔の気持ちと、無垢なリリイのまま生きて欲しい主人公の願いが感じ取れました。

 

子供の未来を潰してしまうのは、ある意味作中で絶対タブーとされている「殺人」と同じです。

作中では人が死ぬシーンは一切ありませんが、リリイのように幼い子供が怖い思いをするシーンはあります。

 

あえて描いたということは、今はできてないけど今後は大切にしていきたいことなんだと思います。

 

 

4.全力勝負を決めるのは日々の積み重ね

 

強い人間でありたいと願い、このブログを書いているわけですが、こんな偉そうなこと言ってても窮地に立つとかっこ悪い言動をしてしまう自分がいます。

窮地に立って逃げ場や支えがなくなったときにこそその人の真価が問われるので、この点、僕は自分の人生に立ち向かう姿勢がまだまだです。

 

窮地に立った時、かっこ良くいれるか、かっこ悪いことをしてしまうかって、日々の積み重ねが左右すると考えています。

日々かっこ悪い言動をしている人が、いざ窮地に立った時、出て来る行動ってやっぱりかっこ悪いんですね。

それって頭やスキルでコントロールできるものではなく、今までの生き様が純粋に表れます。

 

主人公がラップバトルで完勝できたのって、バスの中で日々リリックを書き溜めていたり、常にラップを聴いてイメトレをしたりして日々を積み重ねていたからなんですよね。

 

でも、これは毎日、夢に向かって努力しましょうとか甘ったるいことを言っているのではありません。

プレッシャーに負けて吐こうが、周りからバカにされようが、自分の覚悟を日々貫いていく姿勢を持ち続けたからこそなんですね。

 

主人公の人生なんて大半はかっこ悪いじゃないですか。

カッコつけてイメトレして、でも吐いて、いざステージに上ったら何も言えなくて、彼女には振られ、お母さんと暮らし、仕事はプレス工だし…などなど。

 

でも、そんな中でも、自分を信じて、不器用なりに反骨心を持ち続けて、何より”自分を”諦めなかったからこそのラスト10分だと思うんです。

そしてかっこ悪い人生があったからこそ、リリックが効いてくるんですよね。

いくらラップが上手でフリーワールドだとか言って徒党を組んでたとしても、裕福な家庭に生まれプライベートスクールに行ってるようじゃ”人生そのもの”で勝負した時、圧倒的に深みが違うんですね。

 

だから、日々毎日努力するのは、ラップではなく人生なんですよね。

いかに人生に本気でぶつかるよう努力しているかが人生のラスト10分の勝負を決めるんです。

 

主人公が勝負していたのはラップじゃなかったから、ラスト10分の栄光に溺れず、また混沌の日々に戻れるんです。

 

 

5.FUCKが言えなくなったら人間終わり

 

8mileを観終わって、FUCKって言葉に対するイメージが変わりました。

今までFCUKは汚い言葉という認識しかありませんでしたが、固定概念の是非を問う深い言葉だという認識に変わりました。

 

特にラップバトルの最後のリリックですね。

Eminem 8 Mile Final Battle lyrics

 

主人公の目標ってラップバトルで勝つことではありません。

冒頭で言った「殺人のみがNGな99%の自由な社会」で生きて死ぬことです。

そして、ラップを取り巻くその環境が自分の自由を制限しようとしてきたからこそ、その制限をぶっ壊そうとしてもがいていたんです。

 

 

僕達って本来自由に生まれ、自由に死ねるはずなのに、生きれば生きるほどその自由が制限されていきませんか?

小学校・中学校・大学・社会人・結婚・家族・そのままテキトーに人生を流して最後は葬式をやってもらって終わりっと。

 

法律や憲法か知らないけど、いつどこにいるかを半ば強制的に押し付けられ、果ては死に方まで決められてしまう。

そして制限された末に残ったわずかな自由の余地の中で、必死に「俺は自由だ!」と叫び生きていませんか?

 

結局はラップだって人間本来の自由を制限するものなんです。

ラップという世界にも法律があって、ビートや秒数で制限され、そして勝者と敗者がいる。

勝者が偉い、吐く思いをしてステージに上ったのに、何も言えないだけでボロカスに扱われる。

 

これって僕達が生きている窮屈な社会とまるで同じですよね。

こんな窮屈な社会で生きるのが嫌で、ラップで自由を表現しようとしたはずではなかったのか。

誰しもが自由に参加できてビートや秒数で制限されない、老若男女人種関係なくただ平等にラップを楽しむあの場こそが、自分を魅了した自由ではなかったのか。

8 Mile (2002) – The Lunch Truck Scene (6/10) | Movieclips

 

そりゃ、FCUK THE FREE WORLDですよ。

 

前チャンピオンに完全勝利しつつも、「明日も仕事があるから」と言葉を残し最後に去っていく主人公。

これって最初のシーンの完膚なきまでに負けた時と一緒なんですよね。

 

だから主人公がやりたかったのって、ラップバトルに勝つことではありません。

とにかく自分を制限しようとする枠組みをぶっ壊そうとぶつかることなんですよ。

 

自分が全力でぶつかることができれば、満足でありそれこそが結果なんです。

勝つとか負けるとか、他人に認められるかどうかなんて関係ありません。

だからこそ、前ステージで全力が出せなかった主人公はステージにもう一回上がったんですね。

 

それに、ラップバトル優勝者なんて枠組みに乗っかった瞬間”ラップバトル優勝者”としての人生が始まり、思いっきり他人が決めた枠組みで生きることになります。

 

だから、ラップバトルに勝っても、他人から賞賛されることもなければ貶されることもないプレス工に戻ったんです。

ただバーを押すだけの映写があったように、本来はロボットがやるような仕事なので、そこにあるのは「極めて無」なんですね。

まぁ、遅刻して怒られてましたが、それでもラップ優勝者として枠内で窮屈に生きるよりはマシというところでしょう。

 

I’m a piece of fucking white trash I say it proudly
俺は取るに足らないゴミのような白人だけど、誇りを持ってそれを言う

自分にとってのFUCKが他人にとって大切なものだし、他人にとってのFUCKが自分にとっての大切なものなんです。

何が言いたいかというと、価値観ってそれぐらい多様で、多分全部丸ごと他人と一致することなんて無いと思っていたほうが良いと思います。

だから一致することのない他人の価値観にすがって生きることがどれだけバカバカしいか、8mileは教えてくれてるんだと思います。

 

そして希望もあります。

他人から見ればクソのような下の下の人生でも、自分を信じて生きてさえいれば、少しは報われる瞬間が来るかもしれないんです。

報われるとか言ってる時点で僕はまだ考えが甘いんですが、でも少なくとも、一発は浴びせてやれる瞬間が来る希望が8mileにはありました。

 

生き方から死に方まで指定されて終える人生。

それともほんの一瞬でもいいから自分そのものが解放できた人生。

 

これは決して雇われるとか雇われないとか、ちっぽけな事を言っているのではありません。

会社の中で上司に噛みつけと言っているのでもありません。

クリエイターになって自己表現しろと言っているのでもありません。

落ち着いた田舎で何のしがらみもなくのんびり暮らそうと言っているのでもありません。

 

そんなちっぽけな枠を捨てて、お先真っ暗な下の下の人生を歩めるかどうかの覚悟の有無を伺っています。

 

仮に、その覚悟があるのなら、そこでまず「FUCK」です。

決して一致することのない価値観で自分を制限するものに「FUCK」と叫びつけてやりましょう。

 

ただしそこで、そのもの事体が変わることを望んだり変えようとコントロールしてしまってはいけません。

だって、一番FUCKなのは99%の自由がありながら、その枠に囚われて生きる自分なんですから。

 

常に、自分こそFUCKなんです。

だからこそFUCKと言えなくなったら人間終わりなのです。

 

コメント

  1. 名無しのfuck より:

    高一です。自分は音楽が好きなんですが、就職っていうヤツを忘れてて、音楽で人生を使いたいとか、家で一人になる時に考えてました。あとトイレ。それで、客観的にも一応見てみたいと思って、Yahoo知恵袋に書いてみたところ、この8mileがオススメと教えて下さったので、TSUTAYAで借りて、今さっき見終わったんですが、本当に感慨深い映画だなと思います。本当に自分の好きなようにしている。自分は考え過ぎていたのかなと非常に思いました。

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