今が楽しければいい人生のまま死ぬ方法

楽しい「今」を未来に向かって螺旋状に展開していく

 

こんにちは!佐伯です\(^o^)/

 

8月31日から9月7日まで台湾旅行に行っておりました。

フィリピンの友人達と現地で合流してクライミングを主に、旅行を楽しんできました。

 

でも、今回記事にするのはクライミングの事ではありませんw

そして台湾のことにもほとんど触れません。

 

今回の記事のテーマは「今が楽しければいい人生のまま死ぬ方法」です。

 

台湾旅行の記事なのに、台湾という単語以上に、フィリピンという単語が出てきます笑

 

 

フィリピン人の英語能力の高さに驚く

 

さて、今回シンガポール人夫婦がやってるホステル(雑魚寝宿)に泊まりました。

 

そこで繰り広げられたシンガポール人夫婦とフィリピン人の英語能力の高さに度肝を抜かれました。

 

シンガポール人夫婦の話す英語ってめちゃくちゃ速くて、しかも母国語じゃないのでクセがあるんですね。

だから僕にとってはネイティブよりも何か速く感じて、はっきり言ってほとんど聞き取れずに会話になりませんでした。

 

でも、フィリピン人の友人は、考えること無く反応してて「え?フィリピン人ってこんなに英語能力高いのかよ」ってショックでした。

僕が、そこそこ英会話ができると思っていたのは勘違いで、友人達が僕に合わせてくれていただけだったようです。。。

 

ただまぁ自分の心の拠り所としては、フィリピンやシンガポールはあらゆる所で英語に触れられるので「環境の違い」もあるよなって思ってたんです。

 

もちろん環境は環境で有利なのは間違いないんですが、でもね、実際は違いました。

そして環境の違いを心の拠り所にしたところで、僕にとっては何の助けにもならないことにも気付きました。

 

 

フィリピン人の英語能力は努力あってのこと

 

最近、洋画を英語字幕・英語音声で観ることに対して抵抗がなくなった事もあって、台湾に行くまでは「さぁて、サクッと英会話を楽しむか」ぐらいに思っていました。

でも、英語能力の能力の違いを間近にして勘違いだと気付かされて、自信を持って喋れなくなる→間違う→自信を失う→間違う→繰り返しのループで、すっかり落ち込んでいました。

 

そこで思い切って、一緒に行った特に親しいフィリピン人の友人に自分の正直な思いを話しました。

2人に相談しました。

 

【一人目】

僕「シンガポール人とフィリピン人の会話を見てショックだった」

友人1「そんなことないよ。お前の英語は十分だよ。意思疎通できてるじゃないか」

僕「でも…」

友人1「俺が中国に留学行ったときなんか一言も中国語喋れなかった」

 

ちなみに、友人1はアメリカの大学に4年間留学し、その上、中国の言語学校に1年留学していたそうです。

だから全く英語が通じない台湾で、英語が通じずあたふたしている中、普通に中国語で会話をしておりました。

そして友人1は拙いながら日本語も喋れます。セブ語・タガログ語・英語・中国語・日本語の5つの言語を喋れます。

 

【二人目】

僕「シンガポール人とフィリピン人の会話を見てショックだった」

友人2「イエス、シンガポール人の英語は特に速い。俺がある資格取得のためにシンガポールに行った時、お前(友だち2)の英語は英語じゃないと言われた(笑)」

僕「え、でも完全に聞き取れて反応してたじゃん。特にM(他の友人)は同じぐらいのボリュームで答えてたし」

友人2「Mは、あるプロジェクトに参加する時、英語能力が不十分と判断されて参加できなかった。それから猛勉強したから今あんなに喋れてる」

 

 

相談してホント良かったな、と思いました。

何故なら、フィリピン人の英語能力は環境で手に入れたわけではなく、努力で手に入れた事がわかったからです。

 

環境が要因だと、海外に住まざるを得ませんが、努力なら日本でできます。それも今すぐに。

 

友人2の資格取得のためにちゃっかりシンガポールに行ってたから驚きです。

 

 

とにかく「今を」楽しもうとする友人達

 

今まで何回もフィリピンに行って友だちと話していますが、一緒に宿(部屋)に泊まったのは初めてでした。

んで、ここでもまた新たな気付きがありました。

 

とにかくフィリピン人の友人達は、

  • とにかく、いつも楽しそう。
  • ずっと喋ってる。
  • 愚痴らない。
  • 時間に縛られない。

 

今回、クライミングが主な目的だったのに、タイミング悪く台風が通過中で予定してた4日の内3日が雨だったんですよね。

でもなんかそれはそれで楽しそうで。

 

こんな危険な岩場を1時間歩いてクライミングスポットに着くんですが(しかも暴風雨の中)その途中もずっと楽しそうでした。

 

そしてこんなに苦労したにも関わらず天候は雨なので、洞窟の中で、満足にクライミングできなかったんですがそれでも楽しそうで。

 

何より印象的だったのは、朝起きてすぐに笑い声を交えて皆で話してるところです。

そして、誰の会話だろうが割り込んで、周りもそれを受け入れて笑うし。

 

異人・異文化・天候・食事など何事に対してもウェルカムで、”それはそれ”として「今」を楽しんでるんですよね。

 

かなり田舎だったので19時で全部店が閉まってディナーがカップラーメンになっても、ATMが無くて隣町まで行ったせいでクライミングの時間が一時間しかなくなっても、バスが40分遅れても、前日は9時に出かけたと思えば今日は12時に出かけたとしても、頼んだ料理が30分ぐらい出てこなくても、それこそずっと雨でもイライラする事無くその時を純粋に受け止めて最大限楽しんでるんですよね。

 

まさに「今を生きる」を地で行く人達です。

だから今を生きたいと願う僕はフィリピンの友人達に惹かれてるんだと思います。

 

これって良い意味で「未来に期待していないから」できることなんですよね。

 

 

今が楽しければいい人生で死ぬのってけっこう難しい

 

「今が楽しければ良い」考えって敬遠されがちですけど、でも「今」を生きる友人達の姿を見て、けっこう難しいよな、と考えてしまいました。

だって今日や明日の「今」を重ね続けて、死ぬまで「今」を楽しまないといけないからです。

 

多分人間誰しも幸せになりたいって思いは持ってて、無意識の中で本能的に幸せに向かって歩んでるんだと思います。

でも、その微かに感じる”自分の中の幸せ”を無視して、他人が決めた幸せに乗っかろうとするからだんだんおかしなことになっていくんだと思います。

 

で、ふと気づくんです。

 

「いかーんん!!このままじゃ幸せになれん」って。

この気付きは往々にして自分が辛い時や悲しい時に起こるし、このタイミングは何回もあります。

 

でも、環境の変化って一般的には苦痛を伴うんですね。

それが例えば留学だったりします。

だっていい大人が改めて学校に入ってガッツリ勉強するのってかなりしんどいですよね。仕事も辞めないといけないですし。

 

でも、この”変わろうとする思い”は、は未来の「今」を楽しむためのサインであり、この気持ちを無視しては「今が楽しければいい人生」が途切れてしまうと思うのです。

 

 

加えて、友人達の何が凄いって5つの言語を喋れる友人しかり、台湾にクライミングに連れて行ってくれた友人しかり色々やってるくせに、それを誇らしげに主張しないところなんですよね。

誰も肩書で自分を語らないんです。

だから、仕事がどうだとかいう話なんて一切話題にならない。何十年も一緒にいるくせに、友達が何の仕事をしてるかすら知らない人もいる笑

 

これって見方によっちゃほんとすごいと思います。

だって仕事や資格じゃなくて、常に「お前は誰?」に答えて自分を表現しないといけないですからね。

 

だから皆、フェアですよ。

年齡も仕事も学歴も資格も全部含めて、「今を楽しめてる奴」がいちばん慕われていますからね。

 

僕が1人で難しい顔して考え込んでいていたところ前述のMに「おい、何悲しそうな顔してるんだ?笑」って聞かれて、冗談で「ごめん、自分の未来について考えていた」って言ったら「そんな馬鹿なことするな笑」でしたからね。

Mはクライミングインストラクターだし、英語力が足りないと言われたから毎日勉強をして英語もペラペラで、たまに香港でも働いています。

 

普通、アメリカに留学したり多言語が喋れたりクライミングの知識があったりしたら仕事にしたがるじゃないですか。

だから、それこそ僕達の周りには何やらカウンセラーとかコンサルタントとかいっぱい居るわけで。

 

でも、結局、仕事や学歴の肩書で自分を語ると後々キツいんですよね。

だって、それに取って代わる人はいつか現れるし、そもそも自分が、それを仕事としなければいけない理由もないですからね。

 

もちろん”本当に”好きで、結果的に仕事になったのであれば話は別ですよ。

 

 

今が楽しければいい人生のまま死ぬ方法

 

今回の旅行を経て、真剣に英語を学ぶことに決めました。

今まで、単語なんか知らなくても会話になるし別にいいじゃんって思って英語から逃げていました。

だって単語を覚えるのはしんどいし、面倒くさいし、できればしたくなかったんですもん。

 

でも、今回の経験を経て、真剣に英語を学ばないと、未来の「今」が楽しくなくなってしまうって危機感を覚えたんです。

 

そしてフィリピンの友人達の姿を見て「今を楽しむ」って事の解釈がガラッと変わりました。

今を楽しむとは、楽しい「今」を未来に向かって螺旋状に展開していく事なんだ、と。

 

 

 

そして何よりポイントなのが楽しい「今」を積み重ねてるから、ずっと楽しいんですよね。

これこそが今を楽しむ生き方の真髄だと思いました。

 

早速、洋書を買って読んでいます。

何故洋書かというと、友人達が普通に洋書を読んでいたからです。

だから洋書が抵抗なく読めるようにならないと少なくとも肩を並べられないなと思い読み始めました。

 

そして読んでいるのはクライミングの本なので、読んでて楽しいです。

最初、「英語のボキャブラリーの増やし方」みたいな本を読んでたら次第に勉強感に包まれてしまい、「今」を楽しむことという一番重要な事を見失うところでした(笑)

 

 

今が楽しければいい人生のまま生きて死ぬ方法とは、「他人が決めた幸せや他人の経験でなく、自分の確かな経験に基づいた”変わろうとする思い”をポジティブに解釈し続けてやること」だと思います。

 

僕は、今英語を勉強していますが、読んでるのは今一番ハマっているクライミングの本で、そのついでに英語学習という感じで「今」を最大限楽しんでいます。

だから、もし僕が、仮に明日死んだとしても、「今」を楽しんだ末、死ねたのである意味、誇らしいです。

 

 

今が楽しければいいという考えは悪なのか?

 

小学生あたりからでしょうか?

今まで無限に広がっていた景色にぼんやりと道が現れて、誰からでもなくその道を歩くよう強制される。

前後左右に無限の可能性があるにも関わらず、その道から外れることを許されず、更には立ち止まることすら許されない。

人によって見える距離は違うけれど、前を見れば見るほど、周りから褒められて・・・

 

左に曲がりたい思いも、後ろに進みたい思いも、その場で飛び跳ねてたり、もしくは寝転んでゆっくりしたい思いも。

その道の上に居れば居るほど、段々とその純粋な思いすらも忘れていき「きっと前に進めば…」という願いを持って進むしかなくなる。

 

でも、純粋な思いは完全には無くならず、故に、辛い。

そしてどうにか自分を肯定したくて、他人にまで前に進むことを暗に強制してしまう。

 

「受験勉強ちゃんとしてる?」

「ちゃんと就活はしたほうがいいよ」

「ちゃんと仕事しないと昇進に響くよ」

「そんなにお金使って老後不安じゃないの?」

 

などなど。

言葉は優しいけど、受験して就活して働いて貯金して、っていう1つの道を歩くようやんわりコントロールしてしまう。

 

これは、こんなにも辛い思いをして頑張っている自分をわかってほしいからなんですよね。

 

でもね、それは辛いですよ。そんな世の中楽しくないじゃないですか。。。

皆、違った人生を歩んできていますよね。

誰一人として同じ人生を歩んでいる人なんか居ませんよね。

そして、皆当たり前に違う人間だし、1つの出来事でも違ったように解釈するのが当然じゃないですか。

 

こんな当たり前のこと誰しもわかっているはずなのに、じゃあ、何で「答え」らしきものが存在すると思ってしまうんですかね?

 

違うことを当たり前として、自分の確かな経験に基づいて”変わるろうとする思い”を受け止めてあげればいいじゃないですか。

「皆が皆好きなことをしたら、収集がつかなくなるじゃないか」と思うかもしれません。

でも僕はその世界って黒や紫の入り混じった”混沌”ではなく、すべての色が入り混じった”カラフル”だと信じています。

 

だって、わざわざ辛い思いや苦しい思いをしたい人なんていませんよね。

これは僕の願いですが、例え「暗く陰鬱な人生がいい」と思っている人も心のどこかでは、楽しく笑って生きたいという思いがあることを願っています。

 

でも、無理に引き込むことは絶対にしません。

 

楽しく笑う人生も、暗く憂鬱な人生も平等だからです。

でも、僕は、「今を楽しく生きたい」ですから、周りに陰鬱な人がいると自分の望む未来を達成できないかもしれません。

 

だから、その時は、その人が選んだ人生に最大限の敬意を持って、手を差し出せる人間になりたいと思います。

 

友人M「そんなシリアスな顔してどうした?」

僕「人生について考えていた(冗談のつもり)」

友人M「そんな馬鹿なことするな笑」

 

この時って、多分Mは僕に手を差し伸べてくれてたんだと思います。

だって本当に「英語がしゃべれなくて辛い…」って考えてましたからね(笑)

 

僕の台湾旅行記はここで終わりです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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