なぜ「自分のやりたいこと」を探し続けず、我慢して枠におさまり続けるのか?

自分のやりたいことを探し続けず、我慢して枠(会社員や主婦など)におさまり続ける理由。

それは、ラクだからです。

そもそもですが、「自分のやりたいこと」を見つけるというのは人生で最も困難なものです。

パワハラに耐えてブラック企業で働くことの方がよっぽど簡単です。

でも、この評価付けが反対になっているせいで、多くの人が苦しんでいます。

「自分のやりたいことを探すこと」は人生で最も困難なことだという認識がもっと広まれば、我慢せず枠に収まり続けなくていいのです。

だって「難しい事にチャレンジする」ことについては、現時点で評価が高いですからね。

それが人生で最も困難なことだとすると評価されて尚更です。

でも、今は自分のやりたいことを探し続ける=評価付けが低いと勘違いしているせいで周りも良かれと思って色んなことを言ってきます。

「自分のやりたいことをするなんて甘いこと言わずに早く大人になろう」

「そんなことしてどうやって食っていくの?」

こういう言葉は、「自分のやりたいことを探す」ことよりブラック企業で我慢して働くほうを高く評価しているからなんですね。

そもそも、何故、「自分のやりたいこと」を探し続けている人は、悪のような雰囲気があるのでしょうか。

それは、同調圧力です。

人間みんな自分が一番だと思いたいものです。

口では何と言っても、自分が一番かわいいし自分が大切です。

でも、その一番の自分が「自分のやりたいこと」を探すことを諦めてしまっていたら?

もしくは我慢していたら?

そして、目の前に「自分のやりたいこと」を探し続けている人が居て、その人を認めてしまったらその時点で自分が一番ではなくなってしまいます。

「最も困難な道から逃げた自分」

でも、そんな自分でも一番だと肯定したくて、そして肯定するためには「最も困難な道に挑戦している人」を引き下げるしか無いんですね。

こうやって段々と誤った評価が蔓延して、今や、「自分のやりたいことを我慢すればするほど良い」と言わんばかりの常識になりつつあります。

でも、そんなわけないですよねーーー

我慢し続けた先に、明るい未来なんて待っていません。

我慢し続けた先の未来は、我慢し続ける未来です。

自分の積み重ねたことは必ずいつか形になって表れます。

すなわち、「自分のやりたいこと」が見つかるという未来は、自分のやりたい事を探し続けるという今からしか形にならないのです。

補足:

自分のやりたいこと=世間に評価されるべきこと、と考えると辛いです。

自分のやりたいことが見つかれば、目立たざるを得ないので、世間から評価される可能性は高いです。

でも、それはあくまで副産物であって、一番は、自分が満足しているかどうかなのです。

僕が、「自分のやりたい事が人生で最も困難」と世間に認識してほしいのは、「今、人生で最も難しいことに挑戦しているんだから口を出さないでくれ」という思いからです。

そして、下手に世間からの評価を受けるのは危険な面もあります。

例えば、若くしてオリンピックに出るスポーツ選手であったとしても、それが「自分の人生でやりたいこと」である可能性は低いです。

まだ世の中を多く知らない子供の頃から、特定のスポーツという枠にはめられ、なまじそこで活躍してしまったばっかりに、その人は、今後の人生をそのスポーツという枠で生きることになります。

そこには、本人にしかわからない苦しみがあります。

昔、「花さか天使テンテンくん」という漫画がありました。

すべての人間は、生まれる前に神様から必ず1つは才能が与えられるという前提の元、この漫画の主人公は才能を与えられることを忘れてしまいます。

おまけに、何の才能を与えるべきだったのかもわからず生まれてしまいました。

そこで、主人公に与える才能を探すべく、天界から主人公のもとにきたのが、テンテンくんという天使です。

そして、あらゆる才能を試みてみるんですが、結局主人公の才能は見つかりません。

これこそが「自分のやりたいこと」を探し続ける、ということです。

こうやって自分の可能性に挑戦することに意義があり、挑戦し続けて人生を終えることができたらこれほど充ちた人生はありません。

自分の可能性を諦めること。

自分の可能性に挑戦しないこと。

これさえしなければ、必ず充ちた人生を送れます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする