私の2018年総括「作業と仕事」「感情と理屈」(笑)

※この記事は完全にMy2018年のまとめ日記です(^o^)
年の瀬の人混みを予測して、外に出るのが億劫なので家でシコシコ今年の振り返りを致します☆

作業と仕事

今年はやっぱり「再就職」。これが一番デカい出来事。
約5年ぶりにサラリーマンとして働き始めた。

とは、言っても良い意味でも悪い意味でも超ゆる~いベンチャー企業なので、新卒で入った半官企業とは全然違うけど…

この会社で任されたのが業務効率化。
前職の自営業でほぼ一人で業務を回してきた自分&IT技術が大好きな自分にとっては得意分野だけど、これがなかなか思うようにはいかなかった。

それは何故か?

これを語るのに、「作業と仕事」「感情と理屈」というキーワードを用いたいでぇ~すv(^o^)v

ここからは、1つ目のキーワードである「作業と仕事」について。

僕は、自分の時間を費やす上で、作業と仕事を区別するようにしている。作業は減らし、仕事をする。7つの習慣で言うと、「緊急じゃないけど重要なこと」が仕事であり、「緊急だけど重要じゃないこと」が作業である。(何それって方はこちらをクリック←Google画像検索です。)

極力、作業を発生させないようにするのが仕事であり、作業が多く発生してる時点で仕事が甘いということ。

バタバタ毎日を汗水たらして動くのは良いけれど、これはほとんどの場合、作業に多くの時間を費やしており、仕事ができていない。

業務効率化が思うようにいかなかったのは、そもそも、仕事をすることで作業を減らせる、という認識があるのかないのか、はたまた作業を奪われるのが嫌なのか、提案以前の問題であることが多かった。

また、作業と仕事の違いをわかっている人は、既に業務効率化をしているし、作業と仕事の違いを考えたこともない人には、効率化の提案も暖簾に腕押し&糠に釘。

「作業を減らして仕事をしたい、でも効率化の方法が分からないというお客さんにのみリーチしましょう。」

なーんて、偉そうな人に言われそうだけど、でも、それはますます格差を広げるだけじゃないか?という思いもあって…パソコンの先生にはなりたくなかったけど、でも、時にはパソコンの先生になるのも悪くないな…という話を「感情と理屈」編でしようと思います。

作業と仕事の区別は重要だと思う!!!(`´)

突然発狂した理由を言う前に、作業と仕事の区別をなんとなーくつけてもらうように、僕が勝手に抽象化した概念を発表しようと思います。

しっくり来るものがありますと幸いです^^

作業とは…

直線の方程式

毎回同じ工数が発生し、何らかの単位(図中では日)で完結します。

作業とは部品(部品の組み合わせが仕事になる)

作業とは仕事を構成する一つの部品であり、作業を組み合わせることで仕事が成り立ちます。完全に独立した作業というのは無く、仕事という目的のために作業が存在します。

仕事に影響される

例えば、同じ仕事をするにせよ、「仕事ができない人」が仕事を組み立てると仕事例②のようなことが発生します。

「いや、それはよ”作業①”の結論出してこっちにパスしてや。こっちの”作業(1)”が進まんやん」って物事を、延々と自分でボールを持ち続けて、時間ギリギリでコッチにパスしてくるヤツ居ますよねw

そいつです。そいつが作業を組み合わせて仕事を組み立てるとそいつしか幸せになれません。

仕事とは…

一次方程式

普通は、二次曲線で例えられるけど、一次方程式で捉えたほうがイメージしやすいと思います。やればやるほど、成果をもたらすような作業を組み合わせて仕組みを作るのが仕事。例えば、物販で言えば出品作業とかですね。ひとまず単純に考えると取扱商品数に比例して売上上がりますよね。あと在庫チェックも重要です。販売機会の損失を防げますもんね!(=売上が上がる)

4の作業に10パワーをかけて、1になめすこと(効率化)

最近よく耳にするRPA(ロボットプロセスオートメーション)とかがこんなイメージでございます。ずっと続く4の作業(例えばコピペ)を、ドバっと費用(10のパワー)かけて機械化したら、あとロボットに命令するための数クリック(1の作業)でロボットがやってくれるっていうこと。この「10を導入するための検討と決断」を仕事と言いたいのです。

傾きを修正すること(効率化)

既に仕事としては成り立っているけど、もう少しヒット率(成約率)を上げるのがこの仕事です。

例えば僕がよく行くダイソーは、レジの時、レジの前に並んだお菓子を指して、必ず「こちらもいかがですかー?」って聞かれるのですが、レジの人がこちらも見ずに下を向いてレジ打ちしてるついでに聞いてくるんですよ^^;

今のままじゃ絶対買わないけど、笑顔でコッチの目を見ながら「私も食べましたが美味しいですよ」って言ってくれれば5回に1回ぐらいは買うかもしれないのに~~。

たかが5回中の1回、買うか買わないかわからないんならしない方がいいじゃん、とは思ってほしくないんですよー。このスーパー小さな傾きの修正のために行動するこそが大きな仕事を生むんですよ。

何も単純に積み重なるわけじゃなく、「行動!」この事で、突如大きく傾きを修正させるためのアイディアが閃くんです。単純に積み重ねの成果ももちろん得られます。

こんな風に、同じ労力(もしくは少ない労力)で傾きを急にしてあげるために行動することが仕事だと言いたいのです。ただし、行動する上で傾きが下がる可能性ももちろん存在します。でも、下がる可能性にビビってる人は永遠に仕事ができません(これ大事)

さてさてさて\(^o^)/

この「作業と仕事」編の最後に、なぜ僕が作業と仕事の区別の重要性を叫び発狂したのかお伝えしようと思いまぁ~す(*^。^*)

なぜなら、全ての個人には、生まれ持った可能性があり、それを育てるのは仕事であり、作業ではないからでぇーす。 この可能性を信じて仕事をすることこそが、自分の運命を成就させる方法であり、作業の一時の達成感に満足してはいけないからでぇーす☆★

1時間アルバイトをして850円を得るのは、実はたった850円で自分の可能性を売っているという考え方もあると思うのでーす。そして、雇用者は、たかが850円でその人の可能性を奪ってるという事を強く自覚しないといけないのでーすね。ただ単に単純作業をやらせるのはご法度で、必ず成長させてあげるか、いつでもその方のタイミングで手放してあげる覚悟が必要だと思うのでーす。

「じゃあ、世の中回らないぢゃん」

ってお言葉に対しては、「やむを得ず作業するしか無い」って方々にお願いすれば良いと思うのです。お願い!するんですね~。

例えば、どうしてもすぐお金が必要な方、怪我や病気などの事情でフルパワーで働けない方にお願いするのであれば、お互い幸せですね。もちろん「成長できる職場です☆」とか言って延々と作業をやらせるのはご法度Death☆

仕事をできる人が思いっきり仕事をして、最小限の作業で回る社会がいいなぁ~と僕は思います^^^

みんな活き活きとしたカラフルな社会。自分と他人の個性を尊重し、どんな人でも許容できる社会…とかカッコいいこと言いたいんだけど、この理念に反する人、例えば「自分だけ美味しい思いをしようとしてる人」とかには牙を剥いてしまう矛盾した自分が居た(居る)のも事実なのです。

これは、理念に矛盾する行為なのでしょうか…すべての人を救えるのでしょうか…この答えは先にあるのかもわからない。排他的行為を行う自分がいるというのが現状です。

そしたら、ほんと偶然にTwitterで落合陽一さんがこんなこと言ってた。

僕もそのように線引き致します。

感情と理屈

※これ以下を読んでいただくなかで、「理屈」と「合理」は同義だと脳内変換してくださいm(_ _)m

さて、長くなってきましたがいよいよまとめに入りまーす。ここまで読んでくださってる方はまずリアル知り合いでしょう(*ノェノ)キャー

。。。

客観的に合理的な事実は必ず正しいと思っておりました。

しかし、現実はそうではなく。

この「感情と理屈」編ではそんな話をしたいと思います。

例えば!

銀行振込をする際、ネットバンキングを使ったほうが効率が良いことは明確だと思いますよねーーーー!?

でも、これが「よし!ネットバンキング使おうね!」とならないのが現実だったんですよ(泣)

世の中は合理的に動いてない!これを思い知らされた2018年でした。

そりゃもちろん、「作業と仕事」編で自分語りしたように、作業を減らし仕事をしたほうが、個人の可能性を開けるんですよ。だ・か・ら、僕は人々は仕事をするべきだと思うんです。

でも、一概にこれを否定できない気持ちもあって。

なぜなら、みんないい人なんだもん。

むしろ合理を振りかざしてる人のほうが非人道的に見えて、、、いくら効率がいいからって合理を肯定し、作業を否定するのは、何だか、守るべき人間性を否定しているような気がして、踏みとどまってる自分がおるのです。

というか、皆自分の人生にそれぞれ忙しいんですよ。平等に。僕は結婚もしてないし子供も居ないし家族付き合いも友達付き合いも悪いから一人の時間が多くあって。だからプログラミングを学べる時間があって、作業と仕事についてダラダラとこんな風にブログをかける時間があるのですが。

他の人は、子育てや人付き合いで忙しいわけですよ。

なんか昔ならこういう人たちをすごい見下す節が自分にはあったんですけど、でも、それはホント一人の世界に閉じこもってたからできたことであって。

今年、趣味のクライミングやら就職やらでこういう方たち(主に家族持ちの方々)とFaceToFaceで接する中で、安易に否定できない気持ちが芽生えてきたんです。その両親に育てられて楽しそうにしてるお子さんを見たり、楽しいだけじゃない感情を抱きながらそれでも人付き合いを続けていこうとする人たちと同じ空間で過ごす中で、なんとも言えない気持ちになったんです。

そりゃ僕だって頑張ってるから僕を卑下するつもりはないけど、だからといって周りを卑下するつもりはなく、「別の事で等しく頑張ってる皆」っていう共同意識が生まれました。もちろんその皆には僕も入ってます。

だからみんな平等なんですね。作業してる人が下で仕事してる人が上とかそんなんないんですね。タイタニックもびっくりの主張転覆させたかもしれませんが(^O^;)笑

ふーーーむ・・・・

と、言いますか、、、多分自分の視野が狭かっただけだな、と思いますのです。

そもそも合理単体で決まることなんて無くて、感情とセットだったんだなってやっと分かりました。。。

「嫌いな人の言うことなんて聞きたくない!」ってやーつ。

これって真理だったんですね\(◎o◎)/!

自分で言うのもなんですが、僕は合理を組むのは得意だと思っています。だから合理の結晶であるプログラミングなんか学んでてすっごい楽しいんですが。

しっかし、前述したようにその合理の結晶中の結晶であるITツール導入の提案もすんなりと通らなかった2018年だったんですよね。

それはなぜなら感情のケアを全くしなかったからですね\(^o^)/笑

画竜点睛と言うか、肉だけの野菜鍋と言うか、愛撫無しの(ry

「感情的に物事を考えて!ナンセンスだよ!」って叫ぶのはそれこそナンセンスなのかもしれません。

当たり前の人には当たり前だったのかもしれませんが、感情と理屈がセットだったなんて…ちゃんと人と向き合ってれば気づいたことなのかな。

でも百万歩僕側に寄ってもらって、最近そうなってきているのだとしたら、これがAI世代を生き残ろうとする人間の無意識なのかと思います。

プログラマーの端くれとしてわかりますが、作業レベルではぜーーーーったいに人間はロボットに負けます。というか既に負けてます。

だから、今後人間が人間らしく生きるには、「は!?何ソレ!?意味わかんない」って部分こそミソだったりして。

意識下か無意識かはわかりませんが、きっと水面下で沸々と湧き上がっていた生存本能が少しずつ表面化してきたんだろう、そんな風に譲っていただきたい。

いや、わかるんですよ。日本合理化推進党の諸君。納得できない気持ち。

合理的に動いた方がスマートだし、その方が分かりやすい世の中になるって。

僕も圧倒的にそちら側の意見を支持します。

でも、かの有名なミスターチルドレンさんも言っていました。

白と黒の間に無限の色が広がってるって。

合理を叫ぶ人間は僕も含め「成長したい!」って気持ちで胸いっぱいな前のめりな人間だと思います。

だからこそ、僕は自問したい。

「合理で割り切れる世の中と、完全に不明瞭な感情で動く世の中、どちらが難しいか?」

成長したい人間にとって、2つの選択肢があるのならより困難な道を選ぶのは言わずもがなな共通認識だと思います。

じゃあ選ぶしか無いですよね…後者を。。。

そんな後ろ髪を引かれる思いで終えた2018年、未だに暗中模索の2019年が始まります。(ボウズだけど)

しかーしですね!僕は感情側に迎合したわけではない。テクノロジー大好きだし、理屈の塊であるテクノロジーも同じように素晴らしい未来を作る素晴らしいものなのです!(語彙力!)

僕はエンジニアの人が多大な時間の投資と努力の末に成り立っているのを知っています。突然ですが、僕の来年の目標に(Pythonの1フレームワークである)DjangoでWebサービスを立ち上げることがあります。

多分既に100時間は学習に費やしていますが、CRUDすら満足にできません!使えるようになるだけでこれなのに、Django自体を作った人どんだけやねん!ってことですよ。多分数万時間ですよ。

こんだけ心血注いだプロダクトが悪い未来を作るわけないじゃないですか~。だから、僕はAIだってどんどん出てきてもらって構わないし、もう意味がわからないぐらいテクノロジーで埋め尽くされて便利な世の中になれって思います。

何が言いたいかっていうと、感情派も理屈派も、どちらも寸分違わず平等ということです。

多様性。多様性。感情だろうが理屈だろうが、全ての個人に与えられた可能性を尊重して、そして自分も含め皆で自分の可能性を信じ抜いて行動し続けることがより良い未来を作るのは間違いんです~。

みんなで仲良くしましょう\(^o^)/

(おわり)

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